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どん底の週末を過ごし、月曜の朝10時。
体調不良を理由に会社を休んだ菜々子は、近所の飲み友達・紗枝と共に代々木上原の『ハリッツ』にいた。
週末に気が済むまで泣いて落ち込んだら、この悲惨な出来事を誰かに聞いてほしくなったのだ。
「菜々子、そんなに食べるの?」
紗枝がラテを飲みながら尋ねる。
WEBマガジンの編集者をしている紗枝は菜々子の友達の中で一番時間の自由が利く。そして、誰よりも冷静で、思慮深い。
「昨日、一昨日とほとんど何も食べてないもん」
菜々子は、定番のドーナツ「スイート65」に「クリームチーズ」、さらにスコーンとブラックコーヒーの乗ったトレイをテーブルに置く。
「うーん、このフワフワ感!やっぱ心の痛みを癒すのはスイーツだわ」
菜々子は呆れる紗枝を尻目に、ドーナツひとつをペロリと平らげた。
「食べられるなら、安心だわ。昨日の夜、電話もらった時は、本当に落ち込んでたから心配になったよ」
その言葉を聞いて、もぐもぐと口を動かしていた菜々子の動きがピタッと止まる。同時に、頬をツーっとひと筋の涙が伝う。
「ちょっと待ってよ」
「だって…」
菜々子はあらかじめ泣くことを想定していたかのように、バッグから厚手の今治タオルを出して、涙を拭う。それから、土曜日に起こった、自分史上最悪の出来事をポツリポツリと語り始めた。
「7年付き合って婚約もしておきながら、浮気して、相手は妊娠?菜々子の彼、最低すぎて絶句」
紗枝は吐き捨てるように言った。
律はあの時、言い訳めいたことを何一つ言わず、ただひたすら頭を下げていた。
これまでの付き合いの中で、彼のあんな姿を見たのは初めてのことだ。
大学時代、同じクラスだった彼とは3年生の終わりごろ付き合い始め、今年で7年目。
卒業後、彼は外資系製薬会社に、菜々子は広告代理店に就職した。
だが、3年前から律は大阪に転勤となり、遠距離になった。
会えない寂しさからどちらからともなく結婚の話が出るようになり、1年前に婚約。年明け2月に式を挙げる予定だった。
「慰謝料もらうんでしょ?」
「そんなことまでは考えてなかったけど…。私の両親はそう言うかもしれない」
来週末、婚約破棄のお詫びのために、律が菜々子の実家にやってくるのだ。父は律のことを実の息子のように可愛がっていた。
菜々子は、両親に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「慰謝料、もらった方がいいよ。だって、奈々子会社辞めるんでしょ?」
「うん…」
仕事は11月末で退職することになっている。菜々子の中で、婚約破棄の事実に加え、失業という現実も重なり、心がズンと重くなった。
「菜々子はまだ27だし、就職も次の相手もすぐ見つかるよ!」
紗枝は明るく励ましてくれるが、律の他にほとんど恋愛経験もない。それに、新卒からずっと現在の会社に勤務し続けてきた菜々子にとって、新しい恋愛と転職はどちらもハードルが高かった。
「就職活動すぐ始めなきゃ」
そう言いながら、またタオルで涙を拭く。
「あ、そうだ!友達が働いている美容クリニックで、人を募集しているって言ってたような」
来年から留学するため後任を探している、という友達の話を紗枝が思い出した。
「興味あるなら、聞いてみようか?場所は六本木界隈だったと思う」
話を聞きながら、菜々子の中である一つの思惑が、浮かび上がっていた。
― 美容クリニックで働くなんて考えたこともなかったけど、もしかしたら律を見返すくらい綺麗になれるかも…。
「私に務まるかわからないけど、とりあえず面接だけでも受けてみようかな」
この記事へのコメント
実家の菜々子パパに殴られるんじゃない?