2021.10.03
マンスプ男 Vol.1香織の会社はこれまで、輸入したファッション雑貨を各提携ショップに卸すか、ネット販売することで儲けを出していた。
店舗を構えるにしても、期間限定のポップアップストアぐらいだった。
しかし業績が好調なことを受け、このたび神戸で路面店を出すことになった。
オープンはクリスマス商戦に合わせて11月を予定している。ゆえに夏ぐらいから香織は神戸出張が増えていた。
その日も、僕は羽田空港まで車で香織を送り届け、彼女がラウンジに入るまで見送った。
駐車場に戻ってきたタイミングで、スマホに“070”から始まる番号からの着信が入る。
見知らぬ番号からの着信は、いつもなら出ない。
しかし、少しばかりの解放感もあって電話を取ってしまったのだ。――そう、香織が出張すると家事を休めるので少し気が緩んでしまうのだ。
『もしもし、藤堂さんですか?突然すみません』
電話口から透き通るような声が聞こえてきた。声の主は、僕が通っていた大学の後輩だった。
後輩とはいっても面識はない。現役の大学3年生。これから就職活動が始まるという。
「藤堂さんにOB訪問をさせてほしいんです」
会社勤めをしている間、何度となくOB訪問を受け、そのたびに「これからの若者のため」とばかりに懇切丁寧に対応してきた。
しかし、会社を辞めてからは初めてだ。
電話の主はどうやら、僕がまだ大手商社に勤めていると誤解しているようだ。
「藤堂さんの電話番号は、山村准教授から聞いて…」
山村准教授は、慶應大学時代、僕の「経営戦略とM&A」に関する卒論を担当してくれた恩師だ。ただ勝手に電話番号を教えてもらっては困る。
「申し訳ないですが、僕はもうあの会社を辞めたんですよ」
懇切丁寧に事情を説明したが、電話の相手は聞き入れてはくれない。
「辞められていても構いません。むしろ辞められたほうが、忌憚のない意見を尋ねることができます」
忌憚のない意見を尋ねる――という言葉の使い方はおかしいぞと思いつつ、僕は優しいので学生相手にそんな指摘はしない。
「お願いします。藤堂さんだけが頼りなんです。いろいろ教えてください」
その声色には、電話越しでも伝わってくるほどの情熱があった。
僕は女性の活躍を応援する男だ。
やたらと男だけが活躍する体育会気質の商社で、彼女が活躍する姿を思わず夢想してしまった。彼女の顔すら知らないのに。
「わかりました。今日か明日の昼まででしたら、OB訪問をお受けします」
僕は彼女にそう伝えた。
香織は明日の夜、神戸出張から戻ってくる。それまでの間に、彼女のOB訪問を受けるなら、家事にも影響は出ないだろう。
「ありがとうございます!でしたら今夜お会いしたいです!」
彼女の声が弾んでいた。僕は思わず頬を緩ませる。
「ところで、お名前は何でしたっけ?すいません。最初に名乗ってもらったとき、聞き逃してしまいまして」
「ごめんなさい。清水未久といいます」
刹那、僕はドキリとした。
清水というのは、妻・香織の旧姓だからだ。
もしかして香織の親戚だろうか。それを知っていて、山村准教授は僕の連絡先を彼女に教えたのだろうか。
瞬間的に疑問が湧いたが、同時に「清水という苗字はありふれている。親戚であるわけがない」とも思った。
◆
18時になり、自宅近くの六本木けやき坂にあるカフェで未久と会った。
すぐに、僕は、未久が香織の知り合いかどうかを確認したが、彼女は妻とは親戚でも何でもなかった。
「藤堂さん、ご結婚されていたんですね。お若く見えるので、独身かと思いました」
まだ着慣れていないリクルートスーツに身を包んだ未久は、偏見に満ちたことを言う。
「奥様がもともと『清水さん』なら、わたしのことは『未久』って呼んでください」
僕は、即座に断った。と同時に「この娘、大丈夫なのか?」とも思った。
「じゃ、『未久さん』でお願いします」
こんなOB訪問があるものか、と僕はうんざりする。空港の駐車場で電話に出なければ良かった、とも思った。
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未久のペースに巻き込まれて迷惑な圭太だったが…。
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