茫然とする僕にかまうこともなく、妻は店員を呼び注文を始めた。
オードブル、白子のフリット、カラスミのパスタ…
ここ数年でまったく肉を食べなくなった妻のメニューを選ぶ声が、エコーがかかりすぎたマイクの音のように聞こえてくる。
出会った頃は、何一つ自分で決められず「あなたに任せたい」と言っていた彼女が…今は僕に意見を聞くこともなく、迷わず注文していく。
パタン―。
重厚な革に包まれたメニューが閉じる音で、はっと我に返る。
動揺しているとは思われたくなくて、シャンパンを口に含み味わうふりをした。味のコメントを言いたいのに、気の利いた言葉が出てこない。
震えそうになる手を、テーブルの下、膝の上に置き、必死で平静を装う。
外は、雨。湿気が強いせいか、シャンパングラスは水滴をまとっている。妻の細い指が、それをなでるのが見えた。少し日に焼けたように見える左手。
薬指の指輪は消えていた。
結婚を機に、元麻布に新しく建ったマンションの3LDKを買い、一流のもので彼女を囲んだ。
美しいもの、本物と言われるものを、衣、食、住、すべてにおいて妻となった彼女に教え、育てたかった。
だからと言って「家に収まっていて欲しい」と思ったわけではない。
週に2度はハウスキーパーを雇い、決して家事に埋没させず、朝食を僕が作り、出勤前に優しく起こすということも多かった。
週1の外食は夫婦の決まりごとで、記念日も忘れない。妻も感謝こそすれ、わがままらしいことなど、一度も言ったことが無かった。
結婚して4年の間、一度も、いや、今この瞬間でさえ、離婚などとは無縁の夫婦生活だと信じてきたのに…。
最初に運ばれてきた、オードブルの4種盛り合わせの説明を終えた店員が去った後、ため息が聞こえた。そして、声も。
「あなたから…卒業させて欲しいんです。もう、弁護士さんにも相談しています」
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