29歳になった香織は、変わらずに一人だった。食事に行く男性は数人いるが、決まった恋人はおらず広尾の1Kに住み、仕事だけは精一杯頑張っていた。
社内を見渡せば、様々なタイプのアラフォー女性がいた。結婚せず仕事に打ち込み、出世の階段を駆け上り、いつも質の良い洋服と靴に身を包む、「女子会」が大好きな先輩。育休から時短勤務で復帰し、化粧っ気はなくいつも忙しそうにしているが、嬉しそうに家庭の愚痴をこぼす先輩。結婚しているが子どもは持たず、独身時代と変わらず自由気ままに贅沢な暮らしをしている先輩。
どの先輩の姿が自分の理想に一番近いのか、彼女たちを見ながら自分はどのパターンの人生を歩むのかと思いを巡らせていた。恋愛は勉強や仕事と違って、自分一人が頑張れば済む話ではない。
香織ももう29歳だ。実家に帰れば親から、良い人はいないのかと尋ねられ、従姉妹の子供達からは「お姉ちゃん」と呼ばれるが、「おばさん」と呼ばれるその日が確実に近づいていることに恐怖を覚え始めた。
だが、結婚しようにも相手なんていなかった。ただし、恋愛不調とは反するように仕事は順調だった。新しく異動した企業向け商品の開発部で、新規顧客の開拓を次々に成功させていた。長年ライバル会社と取引していた大手メーカーの海外視察案件を獲得すると、それを皮切りに関連会社の仕事も次々に回ってくるようになった。
香織は水を得た魚のように、毎日の仕事に没頭した。だからこそ、一緒にいてリラックスできる男性が欲しかった。そんな時、真希に誘われた食事会で直人と知り合った。
同い年の真希もまだ結婚しておらず、彼女は職場が変わってからもこうした食事会に誘ってくれていた。毎週のように食事会という名の合コンに行っていたのはもう遠い昔のように、28歳を過ぎたあたりから、それはわかりやすく減っていた。
相手に年下男性がいることも珍しくなくなってしまった。年下相手に不要な自虐ネタを盛り込み場を凍りつかせてしまった、消したい思い出もある。
日比谷線の女
過去に付き合ったり、関係を持った男たちは、なぜか皆、日比谷線沿線に住んでいた。
そんな、日比谷線の男たちと浮世を流してきた、長澤香織(33歳)。通称・“日比谷線の女”が、結婚を前に、日比谷線の男たちとの日々、そしてその街を慈しみを込めて振り返る。
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