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日比谷線の女 Vol.11

日比谷線の女:秋葉原のタワマンで愛犬と暮らす、会計士の彼の知りたくなかった過去

直人と知り合った食事会は表参道の『シカダ』で開かれた。4対4で相手は皆40歳で早稲田大学の同期だと言った。彼らから洗練された雰囲気は感じられなかったが、大企業で働く体育会系エリートらしく豪快だった。その中で直人だけは会社員ではなく公認会計士として、自分の事務所を持っているのだと聞いた。

直人は中肉中背で適度な胸板の厚さを持ち、色白の手と細い指から、少し繊細そうな印象を受けた。香織にはそれが新鮮で興味を持ったが、食事会では彼との席が遠く、ゆっくり話すことはできなかった。

一次会が終わり二次会のカラオケへ皆が流れる中、直人は「帰らないといけないから」と言ってみんなに軽く挨拶すると、駅の方へ歩いて行ってしまった。

周りの男たちも直人がそう言うのをわかっていたかのように、引き止めることもなくさらりと別れていた。まさに「良い人ほど一次会で帰ってしまう法則」だと、香織は肩を落とした。がっかりしながら彼の後ろ姿を眺めていると、男性側の幹事が無遠慮に香織の肩に腕を巻いてきた。

数日後、やはり直人のことが気になった香織は、食事会のLINEグループの中から直人へ直接連絡した。積極的すぎるかなと少しの躊躇はあったが、自分から動かないことは、可能性の芽を自ら潰すのと同じだと言い聞かせた。


食事に誘うと直人はすぐに快諾してくれ、秋葉原と神田の間にある鳥すきやきの『ぼたん』を予約してくれた。古い日本家屋の座敷で向かい合うのは、正座を崩すタイミングを推し量ったりと初デートにしては少しハードルが高かったが、逆にフレンチやイタリアンじゃないことを新鮮にも感じた。

「こっちの方ってあんまり来ないだろうから知らないと思うけど、良いお店がいっぱいあるんだよ」と力説しながら畳の上であぐらをかいて座る彼は、繊細な印象は影を潜め何だかどっしりと頼もしく見えた。


彼は秋葉原にあるタワーマンション「東京タイムズタワー」23階の約68㎡で2LDKの部屋に住んでいた。家賃は27万円に管理費は2万円。

大学卒業後、千代田区にある大手監査法人に就職し7年目にはマネージャーへの昇格を打診されたが、それを機に退職を決意したと言った。就職した頃から、一生監査法人に勤める自分の姿がイメージできなかったそうだ。

独立開業してからは言葉通り、寝る間も惜しんで家にもあまり帰らず仕事をしていたと、焼き豆腐を頬張りながら言った。数年間の努力の甲斐あって経営が軌道に乗ると、スタッフを増やして少しだけ時間に余裕が出てきたのだと話した。

「この前はどうしてあんなに早く帰っちゃったんですか? 直人さんの歌、聞いてみたかったです。」

香織は無邪気を装い聞いてみた。最悪、既婚者だとういう答えを予想していたが、彼は答える前にiPhoneを取り出しホームボタンを押すと画面を香織の方へ向けた。そこには、1匹の犬が写っていた。

「犬がいるんだ。朝と夜に毎日散歩に連れて行かないとストレス溜めちゃうから。」

そう言って彼は、優しい眼差しを香織に向けた。それが自分へ向けたものではなく、犬へ向けた愛情であることは十分わかっていたが、それでも香織は胸の高鳴りを抑えられなかった。

3年前からブラウンのトイプードルを飼い始めたのだと言った。その犬はラムという名の女の子だった。「それってまさか、あのアニメのラムちゃんから?」と冗談のつもりで聞くと「そう、僕の理想の女の子」と得意そうに彼は笑っていた。「あ、でもアニメオタクじゃないからね」と付け足し、言い訳するように「通勤に便利だから秋葉原に住んでるんだよ」とも言った。

後日、この日のデートを真希に相談すると、予想通りのことを言ってくれた。

「それ、前の彼女と一緒に飼ってたんじゃないの?」

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日比谷線の女

過去に付き合ったり、関係を持った男たちは、なぜか皆、日比谷線沿線に住んでいた。

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