過去に付き合ったり、関係を持った男たちは、なぜか皆、日比谷線沿線に住んでいた。
そんな、日比谷線の男たちと浮世を流してきた、長澤香織(33歳)。通称“日比谷線の女”が、結婚を前に、日比谷線の男たちとの日々、そしてその街を慈しみを込めて振り返る。
「いよいよ、あと3ヶ月後には私たち夫婦になるのね。」
香織は並んで歩く婚約者を見上げ、最高の笑顔で語りかけた。彼も「そうだね」と言って軽く微笑む。
長澤香織、33歳。新宿に本社を置く旅行会社で、企画をしている。33歳といえば、東京ではまさに結婚適齢期。世間の波に乗るように、3ヶ月後に愛する彼との結婚式を控えている。今日は婚約者の彼と一緒に結婚式の打ち合わせのため、会場となる虎ノ門ヒルズ52階の『アンダーズ東京』を訪れていた。
香織は東京の全てを見下ろせるこの場所で高らかに勝利宣言をしたかった。東京の最前線で戦い、理想の結婚を勝ち取ったという自負があるからだ。その道のりは平坦とは程遠いものだった。谷底の棘だらけの道無き道を、ひたすら歩いているのではなかという絶望を何度も味わった。
福岡の大学を卒業後、就職のために上京して10年。その間に付き合った男たちには共通点があった。皆、自信家で、結婚願望がなく、なぜか日比谷線沿線に住んでいたのだ。
結婚を間近に控えた今、これまでの自分の戦いを振り返ることにした。
◆
虎ノ門ヒルズを出ると、仕事に行くため彼はタクシーに乗り、香織は「久しぶりに来たから、この辺を歩いて帰る」と告げて別れた。
愛宕下通りを東京タワー方面へ向かって歩くとすぐに、愛宕神社の「出世の石段」の前に来た。お参りして帰ろうかと考えたが、ジミーチュウの7cmヒールでこの急勾配を上る気にはなれない。回り道をして、愛宕トンネル横のエレベーターを使おうかとも考えたが、今日は青松寺の方へ行くことにした。
青松寺は、愛宕グリーンヒルズのMORIタワーとフォレストタワーに挟まれるように建つお寺だ。愛宕トンネル前の信号を渡り、フォレストタワーの入り口前に近づくにつれ、香の胸にはこの10年の思い出が波のように押し寄せ、思わず「慈恵会医大前」のバス停のベンチに腰を下ろして感慨に耽る。
香織にとって、この場所は特別だった。なぜなら、結婚までの10年はこの場所から始まったからだ。
この記事へのコメント
コメントはまだありません。