SPECIAL TALK Vol.3

~加速するグローバリゼーションのなか、国というカタチにこだわるのは、もう古い~

何事も楽しんで従事したビジネスキャリアのスタート

金丸:キャリアのスタートは日本興業銀行からでしたよね。最初に配属された部署はどちらでしたか?

三木谷:外国為替部でしたね。日々何百億という額のお金を海外に送金する、当然ながらミスは許されない業務ですが、当時はシステム化も進んでなくて。89年頃の話です。

金丸:まさにバブルの頃ですね。

三木谷:そこで、まだオフィスには浸透していなかったパソコンを使ってシステムを組んで、効率よく送金できるシステムを作ろうということになって、プロジェクトに携わっていました。ちなみにその前任者は、みんなの党の浅尾慶一郎さんだったんですよ。

金丸:その頃からITに関わってたんですね。あの当時の銀行でパソコンを使って仕組みを作るというのは本当に画期的だったと思います。

三木谷:そんな感じで、最初の3年は事務をしっかりこなし、仕事の効率を上げてミスを減らし、みんなが早く帰れるようにするには、どうしたらいいか……なんてことも考えたりしてました。あのころに、ビジネスマンとしてのベーシックな部分をトレーニングできた気がします。

金丸:意外といってはなんですが、優秀なサラリーマンだったんですね(笑)。会社のことを考え、組織のことを考え、事務の効率化を考えて。

三木谷:すごく楽しかったですよ。僕は一期一会って考え方なので、なんでも楽しんじゃう(笑)。どんな仕事も楽しめる性格なんだと思います。

金丸:それはとても重要ですよ。同じ仕事をするならそうありたいですよね。

三木谷:それが1年半ほどで完遂して、入社してから3年目にMBA取得のため、ハーバード大学へ留学しました。当時最年少だったと思います。

金丸:希望を出したんですか?

三木谷:当時の黒澤頭取が推薦状を書いてくれて、ちょうどアメリカに行く用事があったので、直接ハーバードに手渡しで提出したんですよ。なんでそんなことができたかというと、僕はテニスをやっていてそこそこの腕前だったんですが、偶然当時の黒澤頭取とペアを組んだときがあって。その時希望をだしたんです。

金丸:テニスが出世の役にたった(笑)。でも、若い頃のアピールは本当に重要ですよね。

三木谷:いつの時代も、大事なのはやっぱりコミュニケーションだと思います。

金丸:コミュニケーションのツールとして、スポーツでも趣味でも活きてきますよね。連載第1回目の対談のお相手はサントリーの新浪剛史さんだったんですが、三木谷さんはその留学先で彼とお会いしてるんですよね?

三木谷:そうなんですよ! 新浪さんもちょうど留学されていて、大学でお会いしました。先輩方は皆日本に戻っているはずの時期なのですが、なぜかいつもゴルフクラブを担いで歩いてらして、「よう!」なんて感じで(笑)。すごいインパクトのある人でしたね。

金丸:新浪さんらしいですね。彼は留学から帰ってきて、受け入れてくれる部署がなかった、なんて面白いエピソードがあったけど(笑)三木谷さんは帰国後、確かM&Aチームに配属でしたね。そこも希望を出したんですか?

三木谷:はい。花型部署だったし、面白そうだなと志望して、受け入れていただきました。

金丸:そのM&Aチームで企業の買収のアドバイザーをしていたときに、ソフトバンク、ベネッセ、そしてTSUTAYAのM&Aに関わられて、孫さん、増田さん達とも知り合いになられて。そして神戸の震災をきっかけに独立をされたということですね。

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