SPECIAL TALK Vol.2

~これからの世界における日本の戦い方。IT化が変えた働き方と、進化のスピード~

金丸:大学を卒業して就職されたのはいつですか?

夏野:1988年です。昭和最後の年である昭和63年に就職しました。

金丸:バブルの頂点の頃ですね。

夏野:就職先は選び放題でした。航空業界や金融機関などいくつも内定をいただきました。この業界に進んだらどんな未来が待っているのだろうと、いろいろ想像しましたね。「航空業界はキレイなCAさんがいて、最初は地方空港のカウンターに勤務して……」とか「銀行だったら地方支店に配属されて、そこでなりゆきで結婚して……」とか。

金丸:そんなことまで! 想像力豊かですね。でもどうしてそんなに「地方」ばかりイメージしていたのですか?

夏野:うちの父が保険会社に勤めていて、転勤族だったのが原因かもしれません。小学校は5つ通いましたし、父が家に帰ってくるなり「来週に引越しだから」なんてこともありました(笑)。

金丸:その思い出があるから、どうしても「転勤」のシーンを想像してしまうんですね。

夏野:ただ、学生の頃から「人生=会社」になるのはどうなのかなと感じていました。会社のためにがんばるのは全然構わない。重要なのは、いかに自分で自分を磨くかだと思っていたので、会社に拘束されずに間口を広くしておきたい、いろいろなことを経験したいと考えていました。

金丸:そして最終的に「東京ガス」を選んだのですね。

夏野:面白そうだなと思ったんです。今でもユニークなCMをやっていますが、当時はさらに「なんでもやるぞ!」という時代で、レストランやホテルまで経営していました。西新宿にある『パーク ハイアット 東京』もそのひとつ。東京のホテル事情を変えたのは、実は東京ガスなんですよ。それで面白い会社だなと。それに住居の移転が伴う転勤は、海外しかありませんでしたし。

金丸:なんだか東京ガスの学生就職ランキングが上がりそうですね(笑)。

夏野:入社後は、大規模都市計画におけるエネルギーシステムを開発する新規事業部隊に配属されました。何しろコンピュータオタクでしたから、それが配属の理由かもしれませんが、とにかくめちゃくちゃ忙しい部署でした。クライアントはゼネコンや設計事務所、建築家といった、まったく畑違いの方たちでしたが、僕は基本的に新しいモノが大好きなので、いつの間にかその道に入り込んでしまい、ついには建築設計の専門誌のデザインコンペで入賞したこともあります。

金丸:好奇心が本当に旺盛ですね。

夏野:そこでがんばったこともあって、会社にアメリカの大学院に留学させてもらえたんですよ。

金丸:それでMBAを取得されたわけですね。会社を辞めるときは引き止められなかったのですか?

夏野:それが、上司や同僚が非常に心配してくれまして。「確か君は長男だよな? でも、親御さんは東京に持ち家があるのか。じゃあ辞めても家のことは心配しなくていいんだな……なら大丈夫だ」なんて。この間も、東京ガスの役員会から講演に来てくれないかと、声をかけてもらいました。

金丸:なんだか東京ガスに親近感さえわきます。

夏野:だから相当迷いましたね。ただ、僕は留学先で学んだインターネットの知識をどうしても活かしたかった。その頃、インターネットの知識がある人はいませんでしたから、これは新しいビジネスを始めるための知識だと強く思っていました。ちょうどその頃、インターネットビジネスの起業を手伝っていたこともあり、「完全にこっちに来るか、完全に手を引くかどっちかにしてくれ」と迫られて、ここまできたのなら行くしかないと転職を決断しました。でも、今でも「東京ガスから留学した人の会」には毎年顔を出しています。同期もとても面白い人ばかりで、仲よくさせていただいています。

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