2024.08.16
夏の恋 Vol.20「瑞穂、本当に何も買わなくていいの?」
「うん…いいや」
「あっそう。って、もう15時半?ちょっとどこか店に入っていい?競馬が始まるわ!レース見なきゃ」
私は頷き、龍之介について行く。
彼はお酒が飲みたかったらしく、タクシーでホッピー通りへ向かう。
どの店も混んでいて店内には空きがなく、外の席で飲むことになった。
まだ陽が落ちない浅草の夜は蒸し暑く、浴衣を着ている私には少々キツかった。
「ねぇ、龍ちゃん。それ飲んだら他のお店に移動しない?」
「なんで。入ったばっかりだよ」
「ごめん、ちょっと暑くて…」
「もう〜張り切って浴衣着るからじゃん…わかった。じゃあ、もう帰ろう」
私たちは、配車アプリでタクシーを呼び、自宅がある武蔵小山へ向かう。
車内で特に会話をすることなく、ぼ〜っと外を眺めていると、自然と涙が溢れた。
― 今日のデートが楽しくなければ、別れる。
これは、何日か前から決めていたことだった。
27歳から4年間。20代後半を龍之介と過ごした。
4年前、龍之介は「一目惚れした」と目黒の居酒屋で私に声をかけてきた。
それからデートを重ね、付き合ってすぐに同棲を始めた。同じベッドで眠って、同じ匂いがする服を着た。
好きな人が待つ家に帰るのは、本当に幸せだったけれど…。
「結婚前の同棲は、デメリットの方が多い」
そのことに気づくのに時間はかからなかった。
結婚前に体験しなくてもいいような、色気のない生活が当たり前になるし、一緒にいることも特別じゃなくなってしまう。
それでも同棲を解消しなかったのは、龍之介が好きだったし楽だったから。
私といるのが楽なのは、彼も同じだろう。だけど、もう限界だ。
楽なだけでダラダラと付き合い続けるほど、私は若くないのだから。
「もう、東京の夏は無理だな〜。来年は北海道とか軽井沢にでも行くか」
「…そうだね、暑すぎるね」
― 来年は、きっと一緒にいないよ。
龍之介はもう、私が泣いていることにも気づかなくなってしまった。
それだけじゃない。浴衣を褒めないし、自らデートプランを考えることもない。彼の言動から、愛されていると実感できなくなったのだ。
家に着くと、龍之介は真っ先にシャワーを浴びて、缶ビールを飲み始めた。
「龍ちゃん」
私は、浴衣姿のまま彼に声をかけた。
「どした?瑞穂もお風呂入ってきなよ」
「…別れよ」
龍之介は狐につままれたような顔をしている。
「別れる?なんでよ。まさか、他に男でもできた?」
「そうじゃないよ、もう限界なの…」
彼は、本当に何もわかっていない。
4年も付き合ったのだ。ここは優しい心で、別れる理由をきちんと説明すべきなのだろうか。
私はあなたと結婚したかった。その願望を何度かほのめかしていたし、誕生日、記念日、クリスマス…いくらでもチャンスはあったはずだよね。それと、私と居ることに慣れてしまうのは仕方ないとしても、もう少しデートを楽しんだり、気遣ってくれてもいいんじゃないの?と。
でも、私は言わなかった。
「イヤだよ」
「え?」
「だから、急に別れるは意味わかんないって」
龍之介が別れを拒むのは想定外だった。
「じゃあ、私たちが付き合ってる意味ある?この先の未来のこととか…考えてないでしょ」
私は、真剣な眼差しで龍之介を見た。
このタイミングで求婚されるとは、もちろん思っていないが、最後の最後に希望を抱いてしまうのは、なぜなのだろう。
もっと力強く引き留めてほしいと願ってしまうのは、どうしてなのだろう。
「…わかったよ。瑞稀がそうしたいなら。別れよう」
― だよね、ありがとう。
けれど、龍之介は、私とぶつかるよりも別れを選んだ。
2週間後。
私は龍之介が仕事でいない間に、ふたりで住んでいた部屋を出た。
『私ね、龍之介のこと大好きだったよ。でも、自分のことはもっと好きだし大事にしたいの。だから、さよならするね。今までありがとう、バイバイ』
テーブルの上に置いてきた手紙に、嘘偽りはない。
楽しかった思い出は数えきれないし、感謝もしている。
ただ、この先将来を見据えて付き合う人には、何年経っても褒められたいし、私とのデートを楽しみにしてほしい。
「よし。次行こ、次!」
私はわざと明るく声を出して、マンションのドアを閉めた。
▶前回:デートで終電を逃して「タクシーで帰る」という29歳女。本音はお泊まりしたい…?
※公開4日後にプレミアム記事になります。
▶1話目はこちら:「東京オリンピックに一緒に行こう」と誓い合った男と女。7年越しの約束の行く末は?
▶Next:8月26日 月曜更新予定
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