翌週の金曜日。
仕事終わりに着替えた白のワンピースに汗がつかぬよう、ハンディファンで首に風を当てながら、恵比寿の街を歩く。
「へぇ、奈緒さんは、愛ちゃんと同じ部署なんだ」
「そうなの。同期で一番仲良しだよね〜!」
愛が幹事の食事会は、恵比寿にある焼き肉店で開催された。
どこでどう出会うのか毎回感心するが、今回の男性は美容外科医だ。
「奈緒、志田先生は骨切りが上手で“骨切り志田っち”って呼ばれてるの。梅原先生は注入系のセンスが抜群。ボトとかヒアルやるなら絶対に梅ちゃん指名してね」
愛が男性ふたりの紹介をしてくれたが、あだ名しか頭に入ってこなかった。
「愛ちゃん、僕らの仕事のことはいいよ。今日は楽しく飲もう」
― 優しそうな人たちでよかった…。
自分と違う世界すぎて、何を話せばいいか戸惑っていたが、男性陣はいろんな話題を振って、会話を盛り上げてくれた。
「このあと、どうする?たまに行くバーが近くにあるんだけど…」
ちょうど2時間が経過し会計を終えた頃。梅ちゃんがみんなに提案する。
「ぜひぜひ〜!行きましょ〜!!」
「すみません、私は帰ります。終電が早くて…」
私は、いつも通り申し訳なさそうに申し出る。
わかっている。ここからの2軒目、3軒目こそ親密になるチャンス。だからいつも誰とも近づくことができない。
ただ、今日はいつもとは違った。
「あ、奈緒ちゃん!ちょっと待って」
「はい…」
私を引き留めたのは、志田っちだった。
「連絡先聞いてもいい?終電が早いなら、今度は夕方から飲もうよ!」
ふわふわのパーマとメガネが素敵で、密かに「いいな」と思っていたからテンションが上がる。
愛が「やったね!」と目で合図を送ってくれている。私は恐縮しながら志田っちと連絡先を交換し、帰路についた。
― 今日はもう少し居たかったなぁ…。
恵比寿駅西口から改札を通ったところで、私は自分の気持ちにハッとした。
― もしかして私、志田っちのこと…気になってる?
そう自分に問いながら、渋谷方面の山手線に乗ると、彼からメッセージが届いた。
『志田悠介:今日はありがとう。美容医療に関心がない女の子って新鮮で、奈緒ちゃんのこともっと知りたくなりました』
― 全く興味無いわけじゃないけどね。
そう心の中でツッコミを入れたが、彼から連絡が来たのは、正直言ってものすごく嬉しかった。
そして、彼との食事は日を空けずに実現した。
◆
「ここは何を食べても美味しいから。奈緒ちゃん、食べたいもの選んで」
志田っちが連れてきてくれたのは、恵比寿にあるビストロ『アベス』。
失礼ながらこのお店は知らなかったが、インテリアが可愛く、まるでフランスに来たみたいで、女心をくすぐられる。
私は、真サバのマリネと黒毛和牛のタルタルをリクエストし、あとは志田っちにお任せした。
辛口のシャンパンで乾杯して、真サバのマリネをいただく。
「わぁ、おいしい〜!」
私が感動していると、志田っちが私の顔をまじまじと見ながら言う。
「奈緒ちゃんってさ…天然美人だから医療美容に興味がないの?埋没すらやってないよね?」
「まいぼつ?あぁ、二重は生まれた時からこれです。でも、美人だなんて…愛の方が可愛いですし」
私がシャンパンを飲みながら言うと、志田っちは「奈緒ちゃんは優しいね」と笑った。
私は、スキンケアはドラコスだし、ファンデは買わずにトーンアップ効果がある日焼け止めで、年中済ませている。
自分のズボラな性格のせいなのだが、美のプロフェッショナルに褒められるのは、素直に嬉しいし、これからはもう少し気を使おうという気になる。
「…志田さんは、有名なドクターだし、仕事に誇りを持っていると思うんですけど、嫌になる時もありますか?」
メインの黒毛和牛クリのローストが運ばれてくるとほぼ同時に、私は聞いた。
ルーティンワークを淡々とこなす私のような人種とは、人生における仕事の比重が違う。だから知りたくなったのだ。
志田っちは「もちろん、あるよ」と即答した。
「でも、コンプレックスのせいで笑顔で過ごせない子が、明るくなるのは嬉しいから、続けていられるのかな。そのためにもっと技術を磨きたいって気持ちもあるよ、って優等生な回答すぎてキモいね」
「まさか!!素敵です」
私はもっと話が聞きたくて、旨みがギュッと詰まったお肉を堪能しながら、深掘りした。
聞けば聞くほど、彼の情熱と美容医療の奥深さを知れて、気づけばあっという間に3時間が経過していた。
「奈緒ちゃん、もう帰るよね?お家って埼玉の方だっけ」
「川越です。でも……」
私は、まだ彼と話がしたかった。
「あ!でも、今日は大丈夫です。明日休みだし、最悪タクシーで帰ります」
「それはつまり、まだ行けるってことかな」
「はい!」
私が答えると、志田っちは少年のように喜んでくれた。
さっきまで真剣に仕事の話をしていた志田っちとは、まるで別人で私の心は完全に彼に持っていかれていた。
今年の夏も後半に差し掛かっているが、大して夏らしいことは何もしていない。
このままだと、花火のようなインパクトのある出来事や、胸を焦がすようなハプニングに出会うことも、きっとない。
いつものように何事もなく過ぎていくだろう。
「終電で帰らない」っていう些細なことでも、私にとっては冒険だ。
― 普段とは違う行動をすることで、何か変わるかな。
今年は20代最後の夏。目の前のチャンスを自ら逃すのではなく、掴んでいく夏にしたい。恋愛の可能性だって、広がるはずだ。
そう思うとワクワクしてくる。
今夜は長くなりそうだ。
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この記事へのコメント
そんな女が美容外科医との初デートで終電を逃しましたとさ。それだけ? 夏休みの絵日記レベル。
一日の最後、働いてないじゃん。