SPECIAL TALK Vol.107

~未曽有の事態に直面して生まれた医療の新しいカタチ~


二足のわらじで朝から深夜まで働き詰め


金丸:その後はどうされたんですか?

菊池:医師になって4年目に、埼玉の系列病院で働くことになりました。

金丸:埼玉の系列病院はいかがでしたか?

菊池:僕が救急当直をしていた夜、髄膜炎という感染症が疑われる高齢者が運ばれてきました。緊急の治療が必要ですが、この病院では対応できない。そこで、もっと大きな病院に受け入れてもらうために転院先を探しました。19箇所の病院に相談をしたのですが、「忙しい」という理由で、全ての医療機関に断られてしまいました。

金丸:全部にですか。

菊池:そのとき、軽症の患者さんが大学病院を受診している光景が思い出されて、患者さんと医療機関が適切にマッチングできていないと強く感じました。それで、2016年にファストドクターを立ち上げました。あれから、もう7年になります。

金丸:当時はまだオンライン診療の解禁前ですが、どのように対応されていたんですか?

菊池:電話で症状を聞いて判定し、通院が難しい人、緊急性の高い人のところには救急往診をするというかたちをとっていました。

金丸:菊池さんはいきなり病院をやめて、ファストドクター一本に絞ったわけではないですよね。

菊池:はい。若かったこともあり、結構無茶をしました。日中は勤務医として8時から19時まで働いて、そのあと20時からファストドクターの業務に。

金丸:えっ。それを何時まで?

菊池:最終受付を24時にしていたので、最後の診療が終わると、深夜の2〜3時ということも。行き帰りの車の運転も自分でしていました。

金丸:すごい!よく体力がもちましたね。

菊池:本当に(笑)。最初は、僕ともうひとりのふたり体制でやっていましたが、徐々に患者さんからの相談も増え、人手が足りなくなったので、医師、医師の移動をサポートするスタッフ、患者さんからの相談を受け付けるコールスタッフを徐々に増やしていきました。

金丸:ファストドクターといえば、コロナ禍での活躍抜きには語れません。ちょうど立ち上げから4年目くらいの頃ですよね。

菊池:はい。「コロナ禍でいい思いをした会社だ」と見られることもあって、複雑な気持ちになることがありますが。

金丸:そんなふうに見る人がいるんですか。本当に必要とされたからこそ利用が増えたわけで、儲けてやろうと思っていたわけじゃないのに。

菊池:そう言っていただけると救われます。

金丸:コロナ流行の初期段階は、一般の医療機関ではなく、感染症指定医療機関が対応するというのが国の方針でしたが、そういう事情がわからない方から多くの問い合わせがあったんじゃないかと。

菊池:そうですね。僕たちのところにも、発熱した患者さんから多くの相談が寄せられました。その1件1件に、「こういうことになっているので、うちでは受けられません」と答えるのは本当に申し訳ない気持ちでした。

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