SPECIAL TALK Vol.104

~病気に苦しむ人だけではなく、日本の医療界を救う医者になりたい~

令和のニューリーダーたちへ


「 ベストドクター・イン・ニューヨーク」は、全米ナンバーワンドクターの称号ともいわれる。

その権威ある賞に4年連続で選出されたのが、外科医の大木隆生氏だ。医師としてのキャリアは日本でスタート。

ほどなくしてアメリカにわたり、腕を磨き、独自の手術を開発し、押しも押されもせぬ名医の地位に上り詰めた。

さらには、その栄誉にしがみつくことなく、母校からの招聘に応じて帰国。

現在も東京慈恵会医科大学で外科のトップとして、患者の治療だけでなく、後進の育成、ひいては国内外科医の地位向上まで精力的に活動している。

医師を志したきっかけから日本の医療が抱える課題まで、大木氏が語り尽くす。

大木 隆生氏 1962年生まれ。東京慈恵会医科大学 外科学講座 統括責任者、血管外科教授。東京慈恵会医科大学 医学部卒業。同大附属病院で勤務ののち、米国アルバート・アインシュタイン医科大学モンテフィオーレ病院血管外科部長及び同大血管外科学教授を務める。全米ナンバーワンと称される「ベストドクター・イン・ニューヨーク」に4年連続選出、アルバート・アインシュタイン医科大学では、ベストティーチャー・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど、米国で高い評価を受ける。2006年に帰国、2007年より現職。専門は血管外科、特に大動脈瘤、閉塞性動脈硬化症で多数の関連特許を有する。


金丸:本日は東京慈恵会医科大学の大木隆生先生をお招きしました。お忙しいところ、ありがとうございます。

大木:こちらこそ、お招きいただき光栄です。実は妻が東京カレンダーの大ファンなんですよ。

金丸:ありがとうございます。奥様にもお越しいただけばよかったですね(笑)。

大木:僕の記事を見て、悔しがりそうです(笑)。

金丸:本日の対談の舞台は麻布十番の『一平飯店』です。香港でも修業を積んだシェフが腕を振るう広東料理をお楽しみいただけます。大木さんは立場的に、会食の機会も多いでしょうね。

大木:そうですね。でも、行くのは銀座か麻布が多くて。生活圏が港区の自宅から半径1キロくらいで完結しています。典型的な港区おじさんですよ(笑)。

金丸:東京カレンダーを代表するようなライフスタイルですね(笑)。大木さんは現在、慈恵医大の外科を統括する立場にいらっしゃいます。

大木:外科学講座 統括責任者を務めていて、チェアマンと呼ばれています。

金丸:ご専門は血管外科。恥ずかしながら、そういう科目があるのを知りませんでした。

大木:あまり耳になじみがないかもしれません。血管外科は心臓と脳以外の全身の血管を扱っています。主な疾患には、血管が拡張して破裂する大動脈瘤や解離、脚や首の血管が動脈硬化などで狭くなる病気があり、慈恵医大では手術に加えて「ステントグラフト」という人工血管を使った大動脈瘤の最新の治療を行っています。

金丸:その「ステントグラフト」を挿入する手術の第一人者として、大木さんはアメリカでも高く評価され、極めて優秀な医者に贈られる「ベストドクター・イン・ニューヨーク」に何度も選ばれていますよね。

大木:はい、4年連続で選ばれました。今の慈恵医大でも僕が手術をする患者さんの7割くらいは、ほかの大学病院などで手術が難しいと断られた方なんです。

金丸:では、大木さんが“最後の砦”としての役割を果たしていらっしゃるんですね。今日は大木さんの生い立ちを振り返りながら、外科医を目指した理由や世界有数の名医になられた経緯、今後の日本の医療のことなど、いろいろと伺いたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

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