SPECIAL TALK Vol.104

~病気に苦しむ人だけではなく、日本の医療界を救う医者になりたい~


医師になる夢は叶えるも出だしはつまずきの連続


大木:僕にとって祖父は、ジョン・F・ケネディやジェームズ・ディーン、ジョン・レノンと同じような存在なんです。

金丸:“若くして亡くなった伝説”の方ばかりですね。

大木:惜しまれながら早く亡くなることで一層美化されるのでしょう。海外で転校を13回もしたこともあり、いじめられたこともあったし、その後の人生でもつらい時期がありました。でもそんなとき、「おじいちゃんならなんて言うかな」と考えたり、「おじいちゃんが見守ってくれているから頑張ろう」って、踏ん張ることができたんです。

金丸:海外生活を経て日本に戻ってこられて、学校ではどんな生徒でしたか?

大木:最初は異邦人ですよね。だけど、編入した暁星中学校は第一外国語、第二外国語として、英語とフランス語の両方をやる必要があったんです。

金丸:イギリスとベルギーにいたなら、どっちも楽勝じゃないですか。

大木:そうなんですよ。宿題を手伝って喜ばれたし、友達もできた。祖父が言っていたように、喜ばれるっていいなと実感しました。だから、将来も人に喜ばれる仕事をしたいと思うようになって。

金丸:では、その頃から医者志望だったんですね。

大木:漠然と医者というより、目標は明確に外科医でした。手塚治虫の『ブラック・ジャック』直撃世代ですから、なるなら外科医と思ったんです。

金丸:そして見事に夢を叶えた。外科にもいろいろありますが、なぜ血管外科を選ばれたのですか?

大木:実は、最初に入ったのは整形外科なんです。どこの大学病院もそれぞれ強い分野があるのですが、慈恵の「じ」は耳鼻科の「じ」、「けい」は整形外科の「けい」というくらい、耳鼻科と整形外科が強くて。

金丸:では、花形の部署に。

大木:メスを握れる外科系だったらどこでもよかったんですが、「大木は弁も立つし、英語もできるから」と誘われました。せっかく誘ってもらったし、頑張ろうと思った矢先に、「10年間はメスを握るな」と。

金丸:えっ?それはどういう意味ですか?

大木:「おまえは将来の幹部候補だから、研究して論文を書け。手術を覚えるのは教授になってからでいい」と言われました。いまだにこの傾向は残っていますが、どれだけ手術がうまいかよりも、どれだけ論文を書いたかの方が大学で出世するには重視されている。この論文偏重は、ガラパゴス化した日本の医療の特異な一面といえます。

金丸:普通、「教授」と聞くと患者は安心すると思いますが、実は大した手術経験を積んでいないかもしれないんですね。そういう医者に当たった患者さんは、たまったもんじゃない。

大木:僕も幹部候補と期待されること自体はありがたかったけど、病気を治して喜ばれたくて外科医になったので、正直迷惑でした。

金丸:それで、どうしたんですか?

大木:どうにもならないから、整形外科を2年で飛び出しました。次の行き先として、第一外科と第二外科のふたつがあって、メインストリームは第二外科。もちろん僕は第二外科に行こうとしたんですが……。

金丸:その言い方だと、また何か問題が?

大木:「整形外科のエリートをうちが取ったら軋轢が生じる。だからムリだよ」って。

金丸:むしろ受け入れて育てるくらいの度量があってもよさそうなのに。

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