「高杉です」
「休みんとこ悪いな。今大丈夫か?」
TQBテレビの警視庁担当記者を束ねるキャップ・本郷の低い声に、えりかは眉を寄せる。ダイジョブだろうがダイジョブじゃなかろうが、関係なしのくせに。
「食事会してました…」
「おー、悪いな。お前、彼氏ずっといないもんな」
余計なお世話である。
「でさ、また新宿のカラオケ店でコロシがあったみたいで。多分、外国人同士のドンパチなんだけど。一応今から行ってくれない?」
ほら、ちっともお構いなし。いつもこうなのだ。
労基法関係なし、休日関係なし、代休存在せず。事件があれば、一番下っ端のえりかが真っ先に呼びつけられる。
「わかりました、タクシー捕まえていきます」
「悪いな」
ブツッと電話が切れた瞬間に、えりかは大きなため息をついた。
買ったばかりのノースリーブの白いニットワンピース、早くもお役御免。
楽しそうに盛り上がるテーブルに戻るが、えりかは椅子に座らず荷物をまとめる。
「ごめんなさい、急に仕事になっちゃいました」
「え、本当?大変だね」
創太は目を丸くし、驚いた表情を浮かべる。
穏やかな物腰、優しい声。あーあ、もっと仲良くなりたかった。
口惜しい思いをしながら、えりかはスタッズがきらめくヴァレンティノのバッグを肩にかけた。
深紅の革が、ずっしりと重く皮膚に食い込む。急な呼び出しに備えてデジカメを忍ばせていたのだが、今日もこの気配りは無駄にならなかったなあ、と落胆した。
食事会開始10分で仕事に呼び出される女なんて、恋愛対象外だろう。
いつもそうだ。キー局勤務、しかも激務の報道記者。そのなかでも殺人や強盗をメインに取材する記者なんて、彼氏ができるわけないのだ。
「じゃあ、また……」
「えりかさん」
そそくさと去ろうとするえりかを、創太が呼び止めた。そのまま、QRコードの表示されたスマートフォンがすっと差し出される。
「よかったらLINE、教えてほしいなと思って。またゆっくり食事しませんか」
「えっ」
終わった…とばかり思っていたえりかは、驚いて創太の顔を見た。その優しい微笑みに、慌てて私用の携帯を取り出し、画面をかざす。
「せっかくのご縁だし、これで終わったらもったいないじゃないですか」
「そんな……」
思いがけない言葉に、声を詰まらせた。
いつも食事会でいい感じになっても、途中退席ばかり。連絡先交換にたどり着いたことがなかったのに。
「そう言ってもらえただけで、今日来てよかったです!」
「あはは、えりかさん面白いですね。あとで俺からLINEします」
熱くなった顔を見られないように、えりかは頭を下げて店の外に出た。
土曜の夜は、あちらこちらで男女が肩を寄せ合っている。六本木ヒルズから漏れる明かりが、スポットライトのように彼らを照らしていた。
その間をすり抜けるようにして、えりかはタクシーを捕まえた。
「歌舞伎町まで、急ぎでお願いします」
息を弾ませながら行き先を告げたとき、ポケットの中で携帯が振動した。 仕事用をみるが、通知はない。プライベートの方だ。
創太からのLINEだった。
『幸村です。さっきはお疲れさまでした』
『言いそびれたんですけど、仕事頑張ってる女性、すごく素敵だと思います。大変だと思いますが、お仕事頑張ってください』
「す、すごく素敵って…。私のこと?」
慣れない単語に、胸の奥がぎゅっと掴まれるような感覚がした。
まさかこんな働き方をしていて、“素敵”と褒められるなんて。頬を緩ませると同時に、再び携帯が震えた。今度は仕事用のほうだ。
画面には“本郷キャップ”と表示されているが、さっきとは違う、明るい気持ちで耳に当てる。
「高杉です」
「容疑者はラリったまま逃走中らしい。現場着いたら、目撃者探してインタビュー撮って」
「わかりました!」
「なんだよ、なんか元気だな」
背中を押してくれる男性がいたら、こんなに心強いなんて。えりかは勢いよく返事をする。
「はい。頑張ります!」
ー仕事も、恋も、ね。
言葉にはしないまま、えりかは小さく笑った。
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創太との出会いに浮かれるえりかだが、殺人事件が発生。そこで被害者取材の難しさに直面し…
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