【今こそ読みたい】日本の名だたる経営者達は、いかに苦境を乗り越えたか?66人インタビューの全てを掲載!

仲條亮子氏 YouTube日本代表、グーグル合同会社執行役員

仲條:そうなんです。冷蔵庫を指差して、「これ何だか知ってる?」って聞かれたり。

金丸:見たことないだろ、と。

仲條:しかもその冷蔵庫、日本製なんです(笑)。日本のメーカーの製品を使っているのに、そのことを知らない。日本のイメージってまったくないんですよね。アメリカって、グローバルな国なのに、アメリカの外に目を向けている人たちはほんの一部で、結構ドメスティックな国だなあと感じました。

金丸:私もアメリカで、似たような経験をしたことがあります。

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渋澤 健氏 コモンズ投信株式会社会長

渋澤:1980年代半ばという、日本経済が一番元気な時代でしたからね。面白かったのは、外資系に就職して数年後にある雑誌を見ていたら、先ほどの商社の人事担当者が、「われわれは国際化のために、積極的に多様な人材を採用します」とインタビューで答えていて。何を今さら、と思いました(笑)。

金丸:たしかに(笑)。しかし、日本企業が語る多様性って、少しおかしいと思いませんか? 女性や外国人を役員に登用すれば、それだけでダイバーシティが担保されているかのように錯覚している。

渋澤:ダイバーシティの重要性は、経営トップは理解していて、変えなきゃいけないという意識も高いし、現場は現場でその必要性を肌で感じています。でもなかなか改革が進まないのはなぜか、誰が抵抗しているのかというと、私はバブル入社組がネックになっているんじゃないかと思うんです。

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鶴本晶子氏 ナガエプリュス取締役COO

金丸:では、高校で転機が?

鶴本:はい。地元を離れて、大分市にある大分女子高校という高校に進んだんですが、小中学校にはなかった美術部があって、そこで初めて自分と同じような人たちに出会うことができました。

金丸:自分をちゃんと出せて、理解してもらえる場所ができたんですね。

鶴本:高校ではさらに美術にのめり込み、ファッションにも目覚めていきましたね。高校の修学旅行で初めて上京したときは、美術部の仲間と一緒にラフォーレ原宿に行ったり、コム・デ・ギャルソンのパルコ店を見たりして、大はしゃぎでした。

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梅田優祐氏 株式会社ユーザベース代表取締役社長

金丸:それでコンサルティングファームに就職したんですね。

梅田:はい。ただ、入社してから本当に苦労しました。周りがみんな優秀で、頭の回転に全然ついていけなくて。僕にできるのは、人よりも倍働くことくらいでした。あんなに働いたことはないんじゃないかというくらい働きましたね。

金丸:ハードワーカーだったんですね。

梅田:それでも3年経つと仕事がこなせるようになって、ちょっと視野も広がりました。そしたらもっとグローバルなことを経験したいと思うようになり、外資系のUBS証券に転職しました。

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辻本憲三氏 ケンゾー エステイト ワイナリー オーナー

金丸:カプコンを創業する前に、結構失敗されているんですね。

辻本:私の人生は失敗だらけです(笑)。10個のうち1個だけ成功する。そんな人生ですよ。

金丸:その後、カプコンを創業されますが、その資金はどうされたのでしょうか?

辻本:タイトーの創業者であるミハエル・コーガンさんからお借りしました。前の会社で失敗してぶらぶらしていたら、コーガンさんに呼ばれまして。「商売をやめるんか?」と聞かれたので、「いやいや、やります」と答えると、「とりあえず20億出すから、何か考えろ」と。

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