【今こそ読みたい】日本の名だたる経営者達は、いかに苦境を乗り越えたか?66人インタビューの全てを掲載!

石戸奈々子氏 NPO法人CANVAS理事長

石戸:どういうわけか教育って、すぐに二項対立になるんですよね。ITが発達して、人工知能(AI)が進化したら、「紙はいらないんですか?」「教師はいらないんですか」っていう。でも、全然いらないわけではないんです。むしろ、ITが可能にするのは、今まで教育が充分に行き届いていなかったところに行き届かせることであり、習ってみたい世界中の先生の授業を受けることもできます。選択肢を最大限に広げ、なおかつ平等に学びの機会を提供できるのが、ITの力なんです。

金丸:プログラミングやソフトウェア教育は、お金がかかるものだと思われていますが、本当はそんなことないんですよ。むしろ、お金をかけずに最大のリターンを得られるもの。その理解がもっと進んでほしいですね。

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魚谷雅彦氏 資生堂 代表取締役執行役員社長 兼 CEO

魚谷:面白いもので、入社面接から一貫して「留学」と言い続けてきたせいか、人事責任者の頭に「魚谷は留学希望」という印象が定着したようなんです。入社2年目には社内の留学試験を受けるように勧められ、2回目の試験で合格しました。

金丸:言い続けるって大事ですよね。まさに夢への第一歩です。

魚谷:でもそこからが大変で。たとえば商社だったら、社内試験から留学するまでの準備期間は、1年ぐらいありますよね。でもライオンの場合、12月に社内合格が出て、翌年の2月には留学先の願書締切という強行スケジュールでした。人事に「もし合格できなかったら、どうなるんですか?」と聞くと、「留学が中止になるだけだ」と言われてしまって、本当に焦りましたね。とにかく願書をたくさん出さなきゃと、全部で18校に提出しました。

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徳重 徹氏 テラモーターズ・テラドローン株式会社 代表取締役社長

徳重:いやいや、辞めることは言いませんでしたよ。相談しようものなら、即、人事部に電話して「引き留めろ!」と言うに決まってますから。

金丸:そこまでですか(笑)。

徳重:父ならやりかねません。ただ育ててもらった恩があるので、辞めたあとに報告したんですが、そのときの光景は今でも忘れません。父は自分の意に反することをしたとき、機関銃のようにバーッと言葉を浴びせてくるんです。でもそのときは違いました。2分間ぐらいずっと無言で……。よく見たら震えているんです。怒りも極限までくると、人は震えるんだなと思いました。しかも、その横で母が「なんてことをしてくれたの!」と号泣していて。

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野口 実氏 株式会社エービーシー・マート 代表取締役社長

金丸:そうして三木社長は、野口さんの存在を知るわけですね。

野口:そうですね。それですぐ本社に配属されまして。靴を扱う部署で、後の看板ブランドになる「ホーキンス」の担当になりました。

金丸:いきなりの抜てきですね。それにしても、好きを仕事にしようと思った瞬間に、過去の経験とつながっていくのが、非常に面白い。野心や野望もなく、ただガムシャラに仕事をしていたら、それを周りの人が評価してくれて、新たな道に導いてくれる。成功者には必ず、そういったシーンが登場するように思います。

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柳川範之氏 東京大学大学院 経済学研究科・経済学部教授

柳川:ただ当時は、海外に派遣される日本人教師は珍しかったので、変わっているというか、気概のある人が多かったですよ。教育委員会の目もなかったと思うので、好きなように授業ができた面もあると思います。裏山にはコブラが出ると言われていたのですが、そこに生徒を引き連れていったり(笑)。お受験という概念もほとんどなくて、本当に伸び伸びと過ごしていました。

金丸:シンガポールには、いつまでいらっしゃったんですか?

柳川:中学1年の夏までです。帰国後は1年足らずで世田谷、杉並を転々としましたね。

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