【今こそ読みたい】日本の名だたる経営者達は、いかに苦境を乗り越えたか?66人インタビューの全てを掲載!

上地結衣氏 車いすテニスプレイヤー

上地:ロンドンでは車いすテニスの人気は絶大でした。満員の観客の前でプレイし、テレビを通じて、全世界1,000万人以上の方がそれを観戦していたこと。そして、ベスト8になったことで、もっと上を目指す気持ちが芽生えてきました。

金丸:負けたことで見えてきたものがあるということですね。上地さんにとって、「負けること」はどんな意義がありますか?

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増田宗昭氏 カルチュア・コンビニエンス・クラブ代表取締役社長兼CEO

金丸:カルチュア・コンビニエンス・クラブ(以下CCC)は、音楽や家電、出版など、あらゆる文化を内包した事業を展開していますが、その原点が形成されたのは、いつ頃なのでしょうか?

増田:音楽とファッションに傾倒していた大学時代でしょうか。京都の同志社大学で「クリーブランドハイム」というバンドをやっていたんですが、大学や関西フォーク連盟のイベントでは、いつもトリを務める人気バンドでした。

金丸:楽器は何を担当していたのですか?

増田:ギターです。でも演奏は大したことなくて、他のバンドメンバーが抜群にうまかったですね。私はどちらかというと、企画や司会、選曲、ネーミング、衣装などを得意としていました。

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ジャスパー・チャン氏 アマゾン ジャパン株式会社 代表取締役社長

金丸 アマゾン ジャパンには、どのようなきっかけで入社されたのですか?

チャン:1995年にP&Gの日本洗剤部門ファイナンス・マネージャーとして日本に赴任しました。その頃、私はインターネットビジネスに興味を持ちはじめていましたので、知り合いを通じてアマゾン ジャパンの立ち上げメンバーに出会い、インターネットビジネスの可能性と彼らの情熱に感銘を受けました。そうして2000年にファイナンス・ディレクターとして入社し、半年後には社長に就任しました。

金丸:着々とキャリアアップをされていますね。いままでのキャリアでは、アマゾン ジャパンが一番長いということになりますね。

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森川亮氏 C Channel株式会社 代表取締役社長

金丸:ところで、日本テレビを辞められたのは、どのような理由からですか?

森川:当時はコンピューターの仕事が半分、もう半分は新規事業の仕事をしていました。新規事業は非常に楽しくやらせてもらっていたのですが、ふと疑問を感じるようになったんです。

金丸:どのような疑問だったのですか?

森川:テレビ局の仕事はあくまでもテレビのビジネスが主流で、それ以外は本業ではない。つまり、リソースはどうしてもテレビに割かれます。新たな事業を立ち上げても、二の次にされてしまっていました。次第に、新規事業に注力する会社に行きたいと思うようになり、2000年に思い切ってソニーに転職しました。

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藤田晋氏 株式会社サイバーエージェント代表取締役社長

藤田:自分で言うのもなんですけど、本当にすごく普通の子どもでしたよ。

金丸:普通にしているけど、気づいたらリーダーになっているというタイプなんですね。趣味やスポーツはいかがでしたか?

藤田:オセロと将棋が得意でした。とくに将棋にはのめり込んでいて、小学4年生のときに鯖江市代表として県大会に出て、優勝したこともあります。幼いころから将棋を教えてくれた父が、「県で一番だから、今日からお前はケンイチくんだ!」と言って、とても喜んでくれたのを覚えています。

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