
~空気を読みすぎない、その姿勢が突き抜けたサービスを創造する~
2020年のニューリーダーたちに告ぐ
通信の世界にイノベーションを起こしたメッセージアプリ「LINE」の立役者として、一躍業界に名をとどろかせた森川亮氏。2015年にLINE株式会社CEOを退任。その動向が注目されるなか、手掛けたのは女性をターゲットにした動画メディア「C CHANNEL」だった。
常に一歩先を見据え、先手を打ち続ける森川氏。その半生を聞き、成功への道筋を見いだす。森川氏の哲学とは? 次代のリーダーたちが生き抜くヒントがここに。
金丸:本日はお越しいただき、ありがとうございます。
森川:こちらこそ、お招きいただきありがとうございます。こんなに東京タワーが近くに見えるレストランは初めてです。非常に迫力がありますね。
金丸:ここは今年7月にオープンした『ワカヌイ グリル ダイニング バー 東京』というお店です。この企画では、一緒に食事をとりながら、その方の半生や起業のきっかけなどをお聞きしています。早速ですが、森川社長は神奈川のお生まれだとか。
森川:川崎市の宮前平というところで生まれました。田園都市線の二子玉川を越えた辺りです。大学時代に茨城県のつくば市に住むまでは、ずっと川崎で暮らしていました。
金丸:では、田舎はないということですか?
森川:そうですね。父はもともと神戸の生まれで、戦時中に満州に渡り、敗戦後九州に戻って、関東に出てきたと聞いています。
金丸:私は鹿児島の出身でして、大学は神戸でした。多少なりとも接点がありますね(笑)。
システム作りと新規事業に奔走した日本テレビ時代
金丸:森川さんは筑波大学のご出身ですが、大学では何を専攻されていたのですか?
森川:第3学群情報学類情報工学専攻というところで、コンピューターを学んでいました。
金丸:もともとは理系なのですね。それにもかかわらず、最初の就職先が日本テレビというのは興味深いです。
森川:そうですね。正直、たまたま受かったというのも大きいのですが(笑)。就職活動の時期は筑波にいたので、東京に出ていくのが大変でした。日本テレビへの就職が早くに決まり、「もう、これでいいか」という気持ちで入社しました。
金丸:日本テレビでは、主にどのような仕事をされていたのですか?
森川:12年いましたが、主にシステム部門で、選挙の出口調査の仕組みを開発したり、視聴率を分析したりしていました。
金丸:そうなんですか。実は私も1986年に、衆参同日選挙の速報システムというのをフジテレビ局で作ったことがあります(笑)。
森川:それは偶然ですね。金丸さんは先ほど、鹿児島のご出身とおっしゃいましたが、鹿児島といえば、私も日本テレビ時代に1カ月ほどおりました。鹿児島読売テレビの立ち上げ部隊に入っていまして。
金丸:そうでしたか。
森川:毎晩、天文館で飲んでいましたよ。
金丸:天文館は不思議な場所ですよね。タイムマシンに乗って昔に戻ったかのような印象です。日本がデフレや不景気とかを嘆いていても、あそこはいつもにぎやかですよね。まあ、そんなに高いお酒を出すお店はありませんが。
森川:日本の中でも、あそこだけ浮いているような感じですよね。
金丸:鹿児島の人間は、一度家で食事をしてから天文館に飲みに繰り出す人が多いんですよ。