
~常に今の自分の能力を超える仕事に挑戦し、チャレンジ精神を持ち続ける~
2020年のニューリーダーたちに告ぐ
1995年にアメリカで書籍販売サイトとして誕生して以来、ビジネスの領域を拡張し続け、現在では世界13ヵ国、109を超える物流センターを抱えるまでに成長を遂げたアマゾン・ドット・コム。
日本には2000年に上陸し、15年の歳月を経て、日本最大級のECサービスを提供するまでに成長した。その原動力となり組織を率いてきたのが、2001年より代表取締役社長を務めるジャスパー・チャン氏だ。
香港に生まれ、カナダでキャリアを積み、日本を主戦場と定めたチャン氏。その原点に迫り、次代のリーダーたちが生き抜くヒントを紐解く。
金丸:本日はお忙しいところ、ありがとうございます。Amazonと言えば、いまや日本最大級のECサイトとして確固たる地位を確立されています。今回は、そんなアマゾン ジャパンを率いるジャスパー社長の生い立ちや仕事の原点を伺いたいと思っています。
チャン:こちらこそよろしくお願いいたします。
金丸:まず、お生まれは香港でいらっしゃいますよね。
チャン:1964年に香港で生まれました。姉と妹に挟まれた、3人兄妹の真ん中です。86年に香港大学を卒業し、社会人1年目の87年まで香港にいました。
金丸:どのような学生でいらしたのですか?
チャン:これは香港全体に言えることだと思いますが、とにかく勉強が一番大事という環境だったので、私も勉強ばかりしていました。特に数字の分析に強い興味を持っていました。
金丸:勉強熱心な学生だったのですね。香港やシンガポール、上海の学生たちはすごく勉強をすると聞きます。その結果、こうした都市は、アジアのインターナショナル・シティとしての地位を築いているのだと思います。ところで、スポーツなどは何かされていましたか?
チャン:小学生のときは卓球やサッカーをやっていましたが、中学生になってからは音楽に夢中になりました。実はフルートを習っていたんですよ。
金丸:バンドを組んでロックをやっていた私とは、育ってきた環境が大分違いますね(笑)。
10年後の未来が見えるレールに乗るのは面白くない
金丸:ジャスパー社長は香港大学工業工学部を卒業後、キャセイ・パシフィック航空に入社されました。工業工学部から航空会社というのは、珍しいキャリアですよね?
チャン:工業工学部からの就職というと、普通はエンジニアの道に進みます。工場やメーカーなど、ある程度業種も決まっているのですが、ただ、私はなんとなく先が見えてしまうレールに乗るのは面白くないなと思い、別の道を模索しました。ビジネスを身につけたかったので、商社のスワイヤー・グループなどを考えていたのですが、そんな中で出合ったのが、キャセイパシフィック航空でした。優秀な人々が多く集まるので、切瑳琢磨できる環境だと思いました。当時、航空会社は人気が高く、入社するのも非常に難しかったのですが、あえて挑戦しました。
金丸:キャセイパシフィック航空では、どのような仕事をされていたのですか?
チャン:エアライン・プランニング・オフィサーという仕事をしていました。チャーター便の手配や航空機の購入などの投資シミュレーションを行い、そこからどのぐらいの収益が見込めるのかということを、マーケティングの観点から分析する役割です。私は新規のサービス開発に従事していたのですが、もともと数字の分析に興味がありましたし、このときに体系的に学んだ経験が、いまも大きく役に立っていると思います。
金丸:キャセイパシフィック航空には、どのぐらいいらっしゃったのですか?
チャン:1年ほどですね。ちょうど香港の中国返還に伴い、政治状況が大きく変わりはじめたタイミングだったので、多くの人が海外に移住しました。私も築いてきたキャリアを途中で断念することに悩みましたが、次の可能性を強く感じ、カナダのトロントへの移住を決めました。カナダではMBA取得を目指してビジネススクールに通いながら、プロクター・アンド・ギャンブル・インク(以下P&G)に入社しました。ここではファイナンス・アナリストとして、前職で培った分析力を活かして仕事をすることができました。また、香港よりも遥かに大きな市場がある世界を相手にビジネスができることに、大いなる可能性を感じていました。
金丸:航空業界から一転、日用品を扱う業界に転職されたわけですね。会社も国も変わり、大きな環境の変化があった。ジャスパー社長のキャリアを見ていると、日本人との考え方の違いがよくわかります。日本ではエリートと呼ばれる人の多くが、新卒で入った会社に人生を委ねて、キャリアを積もうとします。ジャスパー社長のようにリスクをとって転職を繰り返し、キャリア・ディベロップメントをしていく人は、まだ多くはいません。
チャン:私は常に今の自分の能力を超える仕事をしたいと思っています。常にチャレンジ精神を持ち続けることを大事にしています。ですから、5年後、10年後の未来が見えてしまうと、どうしても違和感を覚えてしまうのです。P&Gには13年間勤めましたが、その後のアマゾン ジャパンへの参加は、そこにチャレンジするフィールドがあったからだと言えます。