SPECIAL TALK Vol.23

【東カレSPECIAL TALK】テラモーターズ・テラドローン株式会社 代表取締役社長:徳重 徹
~自分の人生を歩もうと決意したとき、ベンチャーしかないという覚悟が生まれた~

2020年のニューリーダーたちに告ぐ

業界経験ゼロの状態でEV(電気自動車)の世界に飛び込んだテラモーターズ。日本レベルの品質とサービスを武器に電動バイクでアジアの市場を開拓。ドローンの分野にも進出を果たし、メーカー系ベンチャーとして国内外から熱い視線を浴びている。

代表取締役社長である徳重 徹氏は、起業家になる夢を諦めきれず、大手保険会社を辞めて渡米。MBA取得後は、シリコンバレーで多くのベンチャー企業の支援に携わり、自身も2010年にテラモーターズを立ち上げた。

目指すは「日本発のベンチャー企業として、アップル、サムスンを超えるインパクトを世の中に残す企業」。世界を見据える徳重氏のモチベーションの原点とは? 未知の分野に果敢に挑戦を続ける徳重氏の半生から、次世代のリーダーとなるヒントを見出す。

徳重 徹氏 テラモーターズ・テラドローン株式会社 代表取締役社長

山口県生まれ。九州大学工学部卒業後、住友海上火災保険株式会社入社。2000年にサンダーバード国際経営大学院でMBA取得。シリコンバレーでベンチャー企業育成支援を行った後、帰国し、2010年にテラモーターズ株式会社を設立。電動バイク・電動三輪・電動シニアカーなどのEVの分野で、アジアを中心にマーケットを広げる。

金丸:本日はお忙しい中、お越しいただきありがとうございます。

徳重:こちらこそ、お招きいただき光栄です。楽しみにしていました。

金丸:今日は青山にある『礼華 青鸞居』をご用意いたしました。中華はお好きですか?

徳重:大好きです。

金丸:それは良かった。早速ですが、徳重社長は日本の大企業を経てシリコンバレーで起業し、2010年にテラモーターズ株式会社を設立されました。電動バイクを中心としたEV(電気自動車)の製造・販売を行っていらっしゃいますが、以前お会いしたのは、2年ほど前でしたよね。

徳重:そうですね。あの頃はまだ苦しかったのですが、6年かかってようやく軌道に乗ってきたと言えるようになりました。とくにアジアが好調で、電動バイクは年間3万台ぐらい売れています。

金丸:すごいですね。国別だと、どこが一番売れているのですか?

徳重:バングラデシュですね。現状、ここで売上げの4割を占めています。次がベトナムで3割、その次がインドで2割。日本での売上げは全体の5%程度です。

金丸:確かに日本では、電動バイクはあまりなじみがありませんから。ところで1台いくらぐらいで販売されているのですか?

徳重:一番売れ筋の二輪タイプは約6万円、三輪タイプは20万円ぐらいでしょうか。

金丸:えっ、意外と安いですね。パソコンと同じくらいの感覚で買えちゃうんですね。しかし、今でこそ〝売れる電動バイク〞を製造されていますが、徳重社長自身は大手メーカーの出身でもありませんし、EVの経験はなかったんですよね。

徳重:そうですね。まったくの未経験からスタートしました。

金丸:今日はどのようにしてEV事業・ドローン事業の立ち上げに至ったのかを、徳重社長の半生を振り返りながら伺いたいと思います。

父親の呪縛に縛られていた少年時代

金丸:お生まれはどちらですか?

徳重:山口県の上関町というところです。瀬戸内海に面した、人口3000人足らずの田舎町で、子どもの頃はよく海で遊んでいました。サザエやアワビを獲ったりして。

金丸:贅沢な子ども時代ですね。高校時代はどうでしたか? 一番の思い出は?

徳重:高校は県立柳井高校という、地元で唯一の進学校に進んだんですが、思い出といえば、高校生活そのものというより、大学受験の失敗が一番心に残っていますね。一浪したんですけど、浪人って東京や大阪なら別に珍しくもありませんが、うちのような田舎だと、ものすごいレアケースなんですよ。基本的にみんな合格できる大学に進学しますから。

金丸:私も高校は鹿児島でしたから、確かに誰かが浪人すると聞くと、みんな「えっ、浪人?」っていう反応でした。

徳重:そうですよね。私の場合は同級生が300人いて、浪人したのは2人だけ。完璧な挫折者ですよ。浪人中は広島の予備校に通い、3畳半ぐらいの部屋で一人暮らしをしていました。このとき生まれて初めて親元を離れて、自分でいろいろ考えるようになったのですが、これが私にとって大きな意味を持ちました。

金丸:というのは?

徳重:実はうちの父はすごく厳しくて、私は高校までずっと父に従ってきたんです。それが当たり前だと思っていました。子どもの頃は、何も悪いことはしていなくても毎週正座をさせられて、説教されていました。

金丸:厳しいお父様だったのですね。放任主義のうちとは真逆です。

徳重:うちの父は地元企業のサラリーマンだったんですけど、祖父が材木業を営んでいて、かなり羽振りがよかったそうなんです。でも、エネルギーが石炭から石油に替わっていく流れに対応できず倒産してしまい、父は幼い頃、天国から地獄に突き落とされる経験をしているんです。だから父からは「大企業に就職するか、公務員になれ」とずっと言われ続けてきました。とにかく起業なんて絶対にダメだと。私も自分で会社を起こすことは、親に対する裏切り行為だとずっと思っていました。

金丸:自分と同じ苦労を子どもにはさせたくない、という親心があったんでしょうね。

徳重:今ならそう考えるんでしょうけど。ですから一浪したのをきっかけに、自分が何をしたいのかを真剣に考えるようになったことは、私にとってすごく大きかったですね。

金丸:その後、九州大学工学部に進学されますが、なぜ理系を選ばれたのですか?

徳重:数学や物理、化学が好きだったし、得意だったので理系に進みました。でもこれも結局、父が敷いたレールに乗っているんですよね。父の願いは、私を山口県の大手企業に入れて、部長にさせるということ。山口県には宇部興産、三井化学、武田薬品工業などの化学メーカーが多くて、そういった企業に入ることがすべて、という価値観でしたから。

金丸:お父様の呪縛から完全に逃れられたわけではなかったんですね。

徳重:でも大学に入ってみると、化学が自分の性にまったく合わない。実験を通して一つのことを突き詰めるのに、とにかく膨大な時間がかかります。私はそれよりもビジネスや経営のほうにすごく興味があって、実験のかたわら起業家の本やビジネス書を読んだり、英会話の勉強をしたりしていました。

金丸:化学と経営の勉強を両立されていたのですね。

徳重:はい、と言いたいところなんですが、一度、蒸留実験の最中に実験室を抜け出して、英会話教室に行ったことがあるんです。そしたら実験装置が爆発してしまって……。戻ってきたら、先輩に「おまえ、実験の間はずっと見てないとダメじゃないか!」ってえらい怒られました。小さい爆発だったので問題にならずに済みましたが、興味の対象は完全に経営にシフトしていましたね。

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