SPECIAL TALK Vol.24

【東カレSPECIAL TALK】株式会社エービーシー・マート 代表取締役社長:野口 実
~売れる理由はデータに現れる。売れない理由は現場でしかわからない~

2020年のニューリーダーたちに告ぐ

今や日本のみならず韓国、台湾にも店舗を構える『エービーシー・マート』。その原点は、1985年に東京・早稲田で創業した衣料と靴を扱う小さな輸入販売商社だった。

1990年には、『ABC-MART』の第1号店を上野に出店。定評ある海外ブランドとの提携や巧みなマーケティング戦略によって事業を拡大し、現在1,000店舗を超えるまでに成長した。

そんな同社の黎明期から急成長の過程を支えてきた野口社長の半生から、次世代のリーダーが勝ち抜く術を見出す。

野口 実氏 株式会社エービーシー・マート 代表取締役社長

1965年、岐阜県生まれ。中央大学経済学部卒業後、シヤチハタ東京商事を経て、91年、インターナショナル・トレーディング・コーポレーション(後のABC-MART)に入社。販売職などを経て、2002年、小売営業部長に就任。在庫管理を徹底するためのシステムづくりに大きく貢献する。04年、常務、営業本部長。07年より現職。

金丸:本日はお越しいただき、ありがとうございます。

野口:こちらこそお招きいただき光栄です。

金丸:今回は、西麻布にある『鮨 海心』をご用意いたしました。個室もある、非常に使い勝手の良いお店です。こちらでお鮨をいただきつつ、野口社長の半生を伺っていこうと思います。野口社長は『ABC-MART』の黎明期に入社し、会社の急成長を支え、今は社長として手腕を振るわれています。そんな野口社長の言葉から、成功を目指している若い世代にヒントを見出してもらいたいと思っています。

野口:どうぞよろしくお願いします。

転校を余儀なくされた幼少期。高校時代はファッションに傾倒

金丸:早速ですが、お生まれはどちらですか?

野口:生まれは仙台ですが、育ちは岐阜県の美濃加茂市です。というのも、父が転勤族だったので、全国を転々としていました。

金丸:一番長かったのは、どちらだったのでしょうか?

野口:岐阜ですね。仙台、大阪のあと小学3年生までは東京で、東京でも練馬の石神井と東久留米市に引っ越しました。そして4年生のときに岐阜の美濃加茂市に移り、高校卒業まで過ごしました。

金丸:じゃあ、子ども時代の長い時間を岐阜で過ごされたんですね。

野口:だから今も、実家は美濃加茂市なんですよ。もともと両親がこの町の出身なので。

金丸:でもそんなに転校が多いと、大変だったでしょうね。

野口:いいえ。転校初日もあんまり緊張することなく、状況を受け入れていました。どこに行っても「なんでそんなに引っ越しが多いの?」と聞かれるので、「うちはサーカスの団員なんだ」と言ったりして。

金丸:冗談で(笑)。

野口:はい。先生に怒られましたけど(笑)。ただ、東京から岐阜に転校したときは、遊び方の違いに驚きました。田舎はやっぱり、河原で野球をするんですよ。東京では野球なんてやったことなかったから、新鮮でしたね。

金丸:子どもの頃は、どんなお子さんだったのですか?

野口:勉強が嫌いでしたね。だからといって、スポーツが特に秀でていたわけでもなく……。しいて言えば、高校時代から洋服や靴がすごく好きでした。

金丸:でも田舎だと、情報を得るのも大変だったのでは?

野口:そうですね。とにかくファッション雑誌が大好きで、『POPEYE』や『HOTDOG PRESS』『MEN'S CLUB』などを穴が開くほど読んでいました。田舎者がオシャレな世界に憧れるという、よくある話です。

金丸:お金を握りしめて、都会に洋服を買いに行くこともあったのですか?

野口:行きましたよ。高校2年生のときに、お年玉を握りしめて原宿に。原宿には、当時ブームだったIVY(アイビー)のお店がたくさんありました。

金丸:その頃、私は鹿児島にいたのですが、東京は遠すぎて原宿とかまったく意識していなかったです。

野口:私の東京への憧れは相当でしたよ。ファッション雑誌についている袋とじの「原宿マップ」を折り畳んでポケットに入れて、ひとりで朝一の新幹線に乗って、ドキドキしながら東京へ向かう。路上で原宿マップを広げるのは恥ずかしいから、電話ボックスに入ってこそこそ見ては、また歩き出して。今考えると、ちょっと変な高校生ですよね(笑)。

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