【今こそ読みたい】日本の名だたる経営者達は、いかに苦境を乗り越えたか?66人インタビューの全てを掲載!

坂野哲平氏 株式会社アルム代表取締役社長

坂野:そうですね。占いのサイトで稼ぎながら、プログラミングの練習をしたり、教育サイトを立ち上げたりといろいろやりました。あまりうまくはいきませんでしたけど。

金丸:そういえば坂野さんは、サラリーマンの経験がないそうですね。

坂野:大学卒業後は、すぐアルムの前身であるスキルアップジャパンを立ち上げたので。

金丸:そもそも、なぜ起業されたのですか?

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三輪開人氏 NPO法人「e-Education」代表理事

三輪:そうですね。外に対しては弱かった。だから全校生徒の前で、1分ほど完全に固まって……。

金丸:そのあとは、どうでしたか? 恥ずかしくて嫌になったとか、逆に奮起したとか?

三輪:奮起しましたね。自分にとって、あれは間違いなくターニングポイントです。周りから「誰だってああいうことはあるよ」と慰めの言葉をかけてもらったけど、かなり悔しくて。あの日以来、人目に慣れるために、陰ながら人前で話す練習を繰り返しました。

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中林美恵子氏 早稲田大学社会科学総合学術院教授

金丸:では、政治に興味を持つきっかけはなんだったのでしょう?

中林:高校までは、東京にはすべてがあるんだと思っていたけど、東京に住んでみると、当然そんなわけがないということに気づきました。その先には世界がある。だったらそれを自分の目で見てみたい、と。さらに時事問題のニュースを見て、世界情勢は奥が深いなと感じていました。当時は冷戦の真っ只中だったので、どういうメカニズムで世界が動いているのかを考えるときに、冷戦構造抜きには語れません。だからおのずと、冷戦構造に興味が出てきました。

金丸:大学卒業後にアメリカに留学されますね。

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木村周一郎氏 ブーランジェリーエリックカイザージャポン代表取締役

木村:中学は、人生の暗黒期です。

金丸:えっ、いきなりどうしたんですか?

木村:あの頃は校内暴力がものすごい時代でしたから、隣の中学校がめちゃくちゃ荒れていて、僕の学校もちょっとおかしな感じになり、隣の中学校の乱闘に参加する同級生もいました。そんな状況のなか、僕はゲームセンターにはまってしまって、成績は常に超低空飛行。私よりダメな人は全員落第というギリギリの状態でした。

金丸:慶應は成績が悪いと留年させられると聞きますが、よく進級できましたね。

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谷真海氏 パラリンピック走り幅跳び選手

金丸:昔から体を動かすことが好きだったのですか?

谷:大好きでした。2歳年上の兄がいて、近所も男の子ばかりだったので、彼らに負けじと一緒に外で遊び回っていました。両親にはしょっちゅう怒られていましたね。言うことを聞かなかったり口答えしたりして、家から追い出されたことも(笑)。でも追い出されても、裏のドアなら開いているはずと全速力で裏に回って、結局鍵をかけられたり、という。

金丸:すぐに諦めることはしない。子どもの頃からガッツがあったのですね(笑)。

谷:両親は私が体を動かすのが大好きだと知っていたので、あまり勉強しろとは言いませんでした。おてんばだったので、小学校の先生からは「まみすけ」というあだ名をつけられましたし、当時の友だちからは、今でも「まみすけ」と呼ばれています(笑)。

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