2024.03.19
今日、私たちはあの街で Vol.6まさか話しかけられると思っていなかった紗耶は一瞬ドキッとしたが、ふたりの笑顔に包まれて自然に言葉を返すことができた。
「はい、同じお店にいました。ゴルフされるんですか?」
「そうね。歳も歳だから、身体の不調もあるけれど…ゴルフはまだ不思議とできちゃうのよね」
ゴルフ好き同士、会話が弾みそうな気がした。紗耶の方から簡単に自己紹介をすると、年配の女性は洋子、長身の女性は美緒と名乗る。
若く見えたがもう80歳過ぎだという洋子は、ゴルフを始めたのはなんと70歳を過ぎてからなのだと教えてくれた。
「どう、少し座って行ったら?」という洋子からの人懐っこい誘いに乗り、ベンチの隣の席に腰を下ろす。
初めは当たり障りのないゴルフ場の話などをしていたが、気がつけば饒舌な洋子の過去の話が始まり、紗耶はすっかり聞き入ってしまうのだった。
20歳で結婚してから専業主婦で、8歳年上の夫の事業が成功していたために、日本橋で何不自由のない暮らしをしていたこと。
ブランド品や宝石を身にまとい、銀座の高級レストランに通い、海外旅行を楽しむ生活を送っていたこと。
けれど、リーマンショックの直後に夫が他界してしまったこと。
夫の会社が多大な借金を抱えていたことが判明し、愛する夫と住まいと財産、全てを失ってしまったこと…。
「豪勢な生活に優越感を感じていたのは事実よ。でもそれは、社交界の嗜みだとも思っていたわね」
洋子の言葉を聞いて、紗耶は港区を社交場として豪勢な遊びをしている自分の姿を、心の中で重ねる。
「だけど、夫との死別でその必要もお金もなくなって…。50年近く家庭を支えることに力を注いでいたのに、何をしていいかわからなくなったの。生きている意味も見失ったわ」
「それでゴルフを…?」
「やあね。ゴルフってお金がかかるでしょ。そう簡単に始められないわよ」
洋子は笑い、神妙な顔をしていた紗耶もつられて笑顔になる。
辛い話をしているはずなのに明るいエネルギーを感じさせる洋子に、紗耶は惹かれていった。
「ひとりの時間を持て余して…つまらない毎日ながらも、自分に残された時間は有限だと意識していたの」
長年守り続けた日本橋の住宅。守る必要のなくなった今は、どこにでも行ける。
そう思い立った洋子は、いかにして後悔せずに人生を生き切るかを模索しながら東京中を散歩したのだと言う。
行ったことのない街をひとつひとつ訪れ、あるとき洋子は台東区で宝石商の仕事に出合う。
ずっと好きだった宝石の世界。
「大半の宝石は手放していたけれど、夫と一緒に過ごした50年の間に磨かれた審美眼が役に立ったの」
買い手ではなく売り手に回るため、まずは行動、と今までに築いた人脈を辿って買い付けルートの開拓に乗り出し、徐々にビジネスを大きくしていったという話だった。
「結局、お金・時間・自由を全て手に入れたのは70を過ぎてからよ」
洋子は目元の皺を深め、美緒が微笑みながら口を開く。
「私と洋子さんとの出会いも、その頃でしたね」
「そう。美緒さんは大切なビジネスパートナー。会社のWebサイトをデザインしてくれたの。ゴルフに誘ってくれたのも彼女よ」
― おばあちゃんと孫じゃなかったんだ…。
昔話をしながら、和気あいあいと購入したばかりのウエアを見せ合うふたりの姿は、まさしく女友達だった。
紗耶はその光景を見て、感じたままを口にした。
「洋子さん、今幸せそうですね」
「そうね。幸せではあるけれど…夫に頼り切らずに、若いうちから経済力を身につけて自由に生きる人生もあったかもしれない。今となってはそう思うわ」
私はビジネスを立ち上げて自分の力で成功者になる。自立した女として、幸せになってみせる──。
そう考えていた紗耶も心のどこかで、港区でゴルフをしながら経営者層に取り入ることで、起業の資金調達につながるかもしれない…という淡い期待を持っていた。
しかし、洋子の話を聞いて思う。誰かを頼りにして手にした成功には、それと引き換えに失う時間がある。にわかに、自分の甘い考えが恥ずかしくなった。
「今は、女性も自分の力で人生を切り開くことのできる時代ですもんね」
「そうそう。と言っても、私は自分の人生でよかったわ。悔いなしよ。人生をやり直したいとも、誰かと取り替えたいとも思わない」
空を見上げ、洋子は咲き始めた桜に目を細めた。
毛利庭園で咲き始めた桜が、冬の寒さから目覚め、春の訪れを告げていた。
冷たい冬を乗り越えて、年輪を重ねた樹木が何度も花を咲かせる様子は、まるで洋子の人生のようだ。
― 愛する男性と添い遂げた。そして散っていった桜を、自分の手でまた花開かせた──。きっとそれは、最高に幸せな人生だろろうなぁ。
前園からのメールのことは、いつのまにか紗耶のなかですっかり整理できていた。
ときおりひらひらと舞う花びらの下にいると、時が過ぎ去っていく速さを感じる。つまらないことに引っ掛かっていることが、もったいなく思えた。
「洋子さん、美緒さん。桜きれいですねぇ」
「ええ、綺麗ね」
「ほんと」
六本木という大都会の真ん中で、場違いなほどのんびりとした会話を楽しむ。
世間の常識や価値観は時代によって変わる。女性の生き方だって、変わっていく。
― 私はこの先、どんなふうに生きていくんだろう。どんな幸せの形を掴むんだろう…?
打算的に、野心的に生きる自分も、心のままに生きる自分も、どちらも大切にしたい。
そんなふうに考えながらも紗耶は、買ったばかりのピンク色のゴルフウエアをチラリと覗いて思った。
― このウエアは、自己実現のための人脈を作るゴルフじゃなくて…女友達との楽しいゴルフで着たいな。
▶前回:妻子を大阪に残して、東京に単身赴任中の39歳男。ある夜、紹介された年下美女と意気投合してしまい…
▶1話目はこちら:バレンタイン当日、彼と音信不通に。翌日に驚愕のLINEが届き…
▶Next:3月26日 火曜更新予定
好きな世界で仕事をしながらも、最後のキャリアチェンジに悩む36歳女。東京ミッドタウンで、憧れの人に思わず打ち明けた気持ちは…
そんな男性ばかりではないし、お前が思わせぶりな態度だからだろ!バカヤローが。
【今日、私たちはあの街で】の記事一覧
2024.05.21
Vol.15
失恋がきっかけで、OLから外資系CAに転職した23歳女。ドバイに移住し待ち受けていたのは…
2024.05.20
Vol.14
男と女のストーリー。最後の舞台は表参道・オモカド「今日、私たちはあの街で」全話総集編
2024.05.14
Vol.13
38歳バツイチの外銀男。年収4,000万円でも15歳年下女に突然フラレた理由
2024.05.07
Vol.12
「結婚はムリかも…」34歳女が、6年付き合った年収4,000万の外銀男との別れを決断したワケ
2024.04.30
Vol.11
「あの子とは何でもない」と言い訳されたけど…。彼氏が他の女性と出会っていた28歳女の末路
2024.04.23
Vol.10
3回目のデートで、終電を逃した28歳女。翌朝、男が激しく後悔したワケ
2024.04.09
Vol.9
元カレと曖昧な関係を続ける24歳女…。思いを断ち切るためにしたコトとは
2024.04.02
Vol.8
慶應の音楽サークルで、三角関係に陥った男。親友の彼女を好きになってしまった結果…
2024.03.26
Vol.7
帰国子女で外資系化粧品メーカーに勤める36歳女。日系企業に転職し直面した現実とは
2024.03.05
Vol.4
上智の院まで出たのに、就活は惨敗。不本意な会社に内定し、働く前から転職を考え始め…
おすすめ記事
2024.03.12
今日、私たちはあの街で Vol.5
妻子を大阪に残して、東京に単身赴任中の39歳男。ある夜、紹介された年下美女と意気投合してしまい…
- PR
2024.11.20
銀座で女性と過ごす夜。アイリッシュウイスキーが引き寄せた、2人だけの密やかな高揚とは
2015.12.30
レストランで恋のシーソーゲーム(MAN)
2015年ヒット小説総集編:レストランで恋のシーソーゲーム(MAN)全話
2015.09.20
やまとなでしこ 2015 〜極上の結婚〜
やまとなでしこ2015 決断前夜 ・・・あの美しい愛をもう一度・・・
- PR
2024.11.18
総勢100名に当たる!西友&東急ストアで「スプリングバレー」を買って東カレ厳選グルメをもらおう!
- PR
2024.11.21
クリスマスは絶景を望むホテルデートへ!彼女がワッと喜ぶ、とっておきの夜を丸の内で過ごすなら…
- PR
2024.11.22
渋谷在住の29歳OLが自分へのご褒美に♡と、奮発したあるモノとは?
2018.06.25
セカンドの逆襲
セカンドの逆襲:デートはドタキャン、LINEは未読。最高の一夜を過ごした恋人が、変異した理由
- PR
2024.11.22
2024年の締めくくりはこれで決まり! 美味でゴージャスな「アメリカンビーフ」を楽しめるステーキハウス4選
2019.11.13
勝ち組の遠吠え
勝ち組の遠吠え:「大学は、婚活のために入りました」。憧れの駐妻ライフを手に入れた、27歳女の誤算
東京カレンダーショッピング
『佐藤養助商店』:門外不出の技による、喉ごし滑らかな"稲庭干饂飩"
『かに物語』:ふっくらと肉厚な一本爪が2本入ったフレンチカレー
『西岡養鰻』:特製タレ付き!脂の乗った高品質な鰻を土佐備長炭で丁寧に焼き上げた蒲焼
『マルヒラ川村水産』:ご飯に載せて贅沢いくら丼!1粒1粒に旨みが凝縮された、とろける食感の北海道函館産天然いくら
『North Farm Stock』:北海道産ミニトマト使用!糖度が高く、コクとうまみがたっぷり詰まったトマトジュース
『ル・ボヌール 芦屋』:フリーズドライフルーツにホワイトチョコがたっぷりと染み込んだ新感覚スイーツ
『HAL YAMASHITA 東京』:シルクのようななめらかさ!冷え冷えトロリの新食感"ウォーターチョコレート"
この記事へのコメント