2024.03.12
今日、私たちはあの街で Vol.5東京を彩る様々な街は、それぞれその街を象徴する場所がある。
洗練されたビルや流行の店、心癒やされる憩いの場から生み出される、街の魅力。
これは、そんな街に集う大人の男女のストーリー。
▶前回:上智の院まで出たのに、就活は惨敗。不本意な会社に内定し、働く前から転職を考え始め…
Vol.5 『誘惑の先にあるもの』慎吾(39歳)
定時の18時を、5分ほど過ぎた頃。
前園慎吾が慢性的な腰の痛みをデスクで噛み締めていると、背後から数名の部下に声をかけられた。
「前園さん、まだ残りますか。今日NO残業デーですよね」
「ああ、もう帰るよ。仕事は片付いたか」
飲みにでも誘われるのかもしれない。
そう思って一瞬ワクワクしかけるも、そんな期待は次の瞬間打ち砕かれる。
「はい。僕ら明日ゴルフで朝早いんで。お先に失礼します!」
「おう、おつかれ…」
いそいそと退勤していく部下たちの背中を見送りながら、慎吾はひとり小さなため息を漏らす。
― 帰ったか。しかし、金曜に誰からも飲みに誘われないとはな。これが東京か。それとも…世代なのか?
大手広告代理店の関西オフィスから、東京オフィスに異動してまだ2ヶ月。
いや…もう2ヶ月も経つというのに、東京の雰囲気には未だに馴染めないでいる。
転勤自体は、栄転だ。
15年以上、キャリアの大半を関西オフィスで築いてきたが、年末に大きなM&Aがあり、組織統合に伴いトップに就任する形で東京に呼び寄せられた。喜ばしい大出世以外の何物でもない。
しかし…。
関西で思い描いていた生活との落差を前に、慎吾はまたしても大きなため息をつく。
発揮するリーダーシップ。部下から集まる人望。相談や飲みの誘いは毎晩絶えず、週末はBBQやホームパーティー…。
そんな空想も虚しく、実際はこうして、部下とはどこかギクシャクとした関係が続いている。
せめて家族の温もりに癒やされたいが、妻と娘は大阪の自宅に残っている。彼女たちにも生活というものがあるのだから、付いてきてほしいと願うのは望み過ぎなのだろう。
慎吾の東京での住まいには、急な転勤であることを鑑みた特別待遇で、港区の一等地のサービスアパートメントがあてがわれている。けれど、どうせ平日は帰って寝るだけの毎日だ。週末も特にやることはなく、いたずらに動画を見て時間潰しをするだけ。
― オフィスにいても仕方ない。残りは家でやるか。
くさくさした気持ちを払拭しようと、慎吾はパソコンを閉じる。クロークへ向かうと、フロアの人気はもうまばらで、残された数名もそそくさと帰り支度をしていた。
だれも慎吾に気を払うそぶりもない。
認めざるを得ない。この状況は、東京だからでも世代間格差でもない。
チームメンバーや部下は、M&Aされた側の社員──。
地方から凱旋した新リーダーが、快く受け入れられるはずがなかったのだ。
ゴルフバッグなんて大きなもの忘れるなんて普通有り得ないし、そんなあざとい女に引っかかりでもしたら身の破滅だっかかもしれない。
だいたい重いのに届けてやる必要なんてないよ、そんな大きな荷物、飲食店も取りに来るまで預かってくれると思うし。
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