2024.03.19
今日、私たちはあの街で Vol.6紗耶の毎日は、港区で完結していた。西麻布に住み、港区内のオフィスで働き、夜や休日の出かけ先も港区内。
食事や遊びの相手は、必然的にベンチャー企業の社長やエンジェル投資家などのわかりやすい成功者が多くなる。そして言わずもがなの、港区女子たち…。
そんな毎日を過ごしている紗耶自身も、港区女子と言えるのかもしれない。
― けれど、私には築いてきたキャリアがある。自己研鑽のための勉強も欠かさないし、ゴルフだって真剣に取り組んでる。
慎吾からの「気を持たせていたら」というメッセージを見返して、はぁ…とため息が漏れる。
ゴルフが好きな気持ちを、個人的な好意と受け取られるなんて、不本意だ。
― 異性と普通に仲良くするって難しい。というか、私、軽く見られてる…?
漆黒のバージンヘア、雪のように白く透き通った肌、長いまつ毛に覆われた小さめの瞳。
わかりやすいブランド品は控え、ベーシックなワンピースに華奢なシルバーアクセサリーが定番のスタイル。
おっとりと柔和な話し方は、紗耶を大人しい女性だと思わせるようだ。派手さや自己主張が少ないためか、マッチョイズムの標的になることもしばしばあった。
しかし控えめな見た目とは裏腹に、紗耶は仕事の実力や人脈を広げながら、着実に起業の準備を進めているのだった。
― 私はビジネスの世界で戦っていく。仕事も社交もゴルフも、もっと実力をつけないと…!
紗耶は、その辺りの女性…いや、男性にだって負けるつもりはない、という野心を胸に秘めていた。
そんな紗耶はラウンドだけでなく、自省のための練習時間を大事にしている。
― いよいよゴルフシーズン!春って最高。
黙々と練習に励む時間は、マインドフルネスに近いものがある。自省のひととき。朝6時からの練習を終えると、モヤモヤしていた気分はいつの間にか消えていた。その爽快感に、ますますゴルフが好きになる。
一度帰宅してシャワーを浴びた紗耶は、六本木ヒルズにあるゴルフショップへと向かった。
「春夏の新作、可愛いなぁ」
ウエアを鏡の前であてながら、色とりどりの春色に心を躍らせていたその時。
試着室から出てきた女性ふたりに、紗耶は目を奪われた。
170センチはありそうな長身の方の女性は、30代半ばだろうか。スタイルの良さを生かして、ホワイトを基調としたウエアをエレガントに着こなしている。
憂いを帯びた瞳は映画女優のようで、遠目からもその存在感は際立っていた。
向かい合ってはしゃいでいるのは、おそらく彼女の祖母だろう。
トップスの袖に大きなブランドロゴ、胸にはスカルのマーク。合わせたボトムスは、目の覚めるようなローズピンクのミニスカート。見るからに玄人向けのウエアを、可愛らしく着こなしている。
70歳くらいに見えるが、楽しそうに新作のゴルフウエアをまとう彼女に、さすが六本木…と見とれてしまう。
― 対照的なふたり。けれど、それぞれの魅力が際立ってる…。
彼女たちが試着を終えて店を去るまでを、ぼんやりと見届ける。
その後しばらく店内を回り、紗耶はなんとなく、いつもより明るめのウエアを購入した。
「ああ、日差しが気持ちがいい」
陽気の清々しさに、毛利公園へと足が向かう。太陽の光を浴びながら、ショップ袋から覗く春色のゴルフウエアをちらりと見やる。
紗耶はこれまで、形だけのゴルフ女子だと見なされたくない一心で、保守的な色味のウエアばかり着ていた。
― ゴルフの実力をしっかりつけて、好きなものを着よう。自分に似合うものを模索する。さっきのふたりみたいに。あっ…!
毛利池近くのベンチに、先ほどのふたりが座っている。
遊歩道に沿って紗耶がそのまま池に近づくと、年配の女性が紗耶の抱えていたゴルフショップの袋を見て顔を上げた。
目が合いあわてて会釈をした紗耶に、女性たちが頬をゆるめる。
「あなた、さっきゴルフショップにいたわね」
そんな男性ばかりではないし、お前が思わせぶりな態度だからだろ!バカヤローが。
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