SPECIAL TALK Vol.113

~学問という知的な武器を子どもたちに。学びの体験をアップデートして日本を変える~


起業家の父。突然の引っ越しで宮崎へ


金丸:早速ですが、お生まれはどちらですか?

宝槻:東京都三鷹市です。

金丸:探究学舎も三鷹市に教室がありますよね。生まれてからずっと三鷹市にお住まいなのですか?

宝槻:全然そんなことはなくて、僕の半生は父の存在抜きに語れません。まずは父の話からさせていただいてもいいですか?

金丸:もちろんです。

宝槻:父は1950年生まれで、国際基督教大学の出身ですが、実は大学時代に学習塾を立ち上げたんです。

金丸:お父様も起業家なんですね。

宝槻:父の周辺では学習塾を始める人が多くて、東進衛星予備校の永瀬昭幸さんは同世代、enaを運営する学究社の河端真一さんは父の大学時代の後輩です。

金丸:お父様が塾をやっていたということは、探究学舎はお父様の塾を母体にしているのですか?

宝槻:違うんです。1980年代、父が30代の頃にコンピュータに出合い、その可能性にすっかり魅了されてしまって。学習塾を売却し、コンピュータを使った個別学習システムを開発するソフトウェア会社を設立しました。

金丸:シリアルアントレプレナー(連続起業家)ですね。

宝槻:ただ、最終的に、そのソフトウェア会社も売却して。

金丸:さらに新しい事業に乗り出したのですか?

宝槻:それが、家族全員で宮崎市に引っ越しました。僕が中学3年生のときです。

金丸:宮崎に?何か縁があったんでしょうか?

宝槻:逆です。父は誰も知り合いがいないところに行きたかったみたいなんです。

金丸:いろいろ嫌になって、ゆっくりしたくなったんですかね?

宝槻:そのようです。父はソフトウェアを学校に販売していて、市場の何十パーセントかのシェアを取ったと言っていました。だけど、そこで成した財は友達に貸したりいろいろなことがあって全部吹き飛んで、宮崎に行く頃には一文無しに。

金丸:では、その後は宮崎でお仕事を?

宝槻:出稼ぎみたいにときどき東京に行っては、コンサルティングの仕事をして、何十万か稼いでまた帰ってくる、というスタイルでしたね。高級ニートというか、高級フリーターというか。

金丸:東京から宮崎ですか。言葉で苦労したでしょうね。

宝槻:大変でした。最初はまるで英語で話しかけられているように感じて、「イエス」しか言えず(笑)。

金丸:下手したら英語より難しいですよ(笑)。私も似た境遇で、中学2年生のときに大阪から鹿児島に転校しました。

宝槻:僕は東京から来たというだけで、ヤンキーに目をつけられました。金丸さんは大丈夫でしたか?

金丸:全然大丈夫じゃなくて、生き残るのに必死でしたよ(笑)。話を聞く限り、宝槻さんはお父様に振り回されているようにも思えますが、反発はしなかったんですか?

宝槻:僕は男ばかり3人兄弟の長男ですが、一番父に好意的で素直でした。高校を中退したけど、父の指導のおかげで大検を取って、京都大学に進学できましたし。

金丸:それはすごい。さすが学習塾を運営されていただけありますね。

宝槻:教養と指導力がある人なので。僕ら3兄弟は全員、高校に行かずに京大に進学しています。

金丸:ええっ!?世の中にはそんな家族もいるんですね!

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