SPECIAL TALK Vol.111

~いつだって新しい人に出会いたい。シンプルな好奇心が新たな交流を生んだ~


褒めて育ててもらったから、自己肯定感が身についた


金丸:暴走族の彼女という特殊な環境にいて、得たものはなんでしょう。忍耐強さとか?

河村:いろいろあったから、粘り強くはなったと思います。あと、暴走族の世界にも「おきて」ってあるじゃないですか。「もらった恩は返す」とか、「身内を大切にする」「裏切らない」とか。そういう価値観はいまだに私に残っていますね。

金丸:強引かもしれませんが、「身内を大切に」って、いまのサロンとつながるところがありますね(笑)。ただ、ビジネスをやっていると、周りからいろいろ言われることがあると思います。真っ当にやっていても、根も葉もないうわさをもとに後ろ指を指すような人も実際にいます。

河村:高校時代の経験があったおかげで、そういうのは気にならなくなりました。会社勤めをしていたときもそうだし、独立していまに至るまで「失敗したとしても、どこかに幸せは見つけられる」と思ってやってきました。だからこそリスクを取ることは、全然怖くありません。

金丸:起業家に必要な精神ですね。しかし、河村さんが暴走族と付き合いだして、ご家族は驚いたのでは?

河村:やっぱり怒られましたよ。でも振り返るとそこまでひどくはなくて、特に母は優しかったです。母はめちゃくちゃ褒めてくれる人で、私は褒められまくって育ちました。

金丸:お母様はどんな方なんですか?

河村:のほほんとしていて、父とは中学校の同級生なんです。

金丸:グローバルで活躍しているお父様だけど、伴侶には中学校の同級生を選んだんですね。

河村:そうですね。母は補導された私を何度も迎えに来てくれました。泣いたり怒ったりするし、「やめなさい」とも言ったけど、でも優しかったです。

金丸:うちの母も勉強なんてほとんどしていなかった私に、「きっとヤスくんは立派な人になると思うよ」といつも言ってくれました。根拠がなかったとしても、そんなことを言われていたら「そうかも」と思えるじゃないですか。

河村:おかげで私も自己肯定感は高いと思います。

金丸:だけど、一度踏み外したあと、どこかで軌道修正するわけですよね。一度ハマって、そこから戻れない人もいるなかで、なぜ河村さんは軌道修正できたと思いますか?

河村:失うものがないし、変えることが怖くなかったからですかね。

金丸:それもあるでしょう。もうひとつは「自信」だと思います。多くの人が変化を怖がる理由は、自分に自信がないからなので。

河村:そうか。じゃあ、母にはますます感謝しないといけません。

一念発起してアメリカ留学。バリキャリ女子に生まれ変わる


金丸:さて、河村さんの場合、軌道修正の機会はいつ訪れたのですか?

河村:高校3年のときですね。アメリカに留学したんです。

金丸:暴走族からアメリカ留学って、全然つながらないんですが、何があったんですか?

河村:私の周りにいた人たちは彼氏も含めて大学に進学する人はいなくて、高校を卒業したら地元で就職するのが当たり前でした。社会人になってからも、ずっと付き合いが続くような。

金丸:そういう人たちって地元からあまり出ないですよね。絆で結ばれていて、コミュニティがあって、その人たちの職業もその地域だからこそ価値がある。

河村:そうですね。たしかに、その頃の友達はみんなまだ東大阪にいます。そういう生き方を否定するわけじゃないし、そこにも幸せがあるのは分かっているんだけど、当時から欲張りだったのでしょう、「私には何かが足りない感じがする」と思ったんです。それで、なんとなく英語ができるようになりたいと考えて、「だったら留学かな」と。

金丸:アメリカはどちらに?

河村:ロサンゼルスです。

金丸:最高ですね。

河村:最高でした!(笑)

金丸:私も学生時代にハリウッドに居候したことがあります。刺激的ですごく楽しかったですね。

河村:私も相当楽しみました。留学を終えて、高校を卒業したときは20歳になっていたんですが、帰国子女枠で関西学院大学に。

金丸:大学生活はいかがでしたか?

河村:実は関学は3ヶ月で辞めました。

金丸:えっ?!それはまたどうして?

河村:ロサンゼルスを経験したからですね。留学経験が最高過ぎたので、戻りたくなってしまって。

金丸:ではまたロサンゼルスに?

河村:はい。ロサンゼルスのカレッジに通い、そこからカリフォルニア大学バークレー校に。

金丸:ちなみに留学にかかる費用は親御さんが?

河村:出してもらいました。

金丸:まあ、暴走族と付き合っていた頃を考えれば、喜んで出してくれるでしょう(笑)。それに当時は為替レートも全然違ったし。

河村:1ドル80円の時代で、日本からの留学生がたくさんいましたね。アメリカ経済もITバブル前であまり良くなかったので、留学のハードルは低かったと思います。

金丸:だけど、あっという間に名門のバークレーにたどり着きましたね。

河村:アメリカの環境が合っていたのか、最初の留学のときから一気に勉強ができるようになったんです。だから「この先も絶対成功する」って、それしか自分の頭になくて。

金丸:そう思い込める人は強いですよ。就職活動ではどんな業種を?

河村:金融とコンサルティング会社を受けて、リーマン・ブラザーズの東京支社に入社しました。

金丸:バリキャリ金融女子としての第一歩ですね。就職したのはいつですか?

河村:2000年です。リーマン・ショックなんて誰も予期していなかった頃ですよ。

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