SPECIAL TALK Vol.101

~地方から日本を変えていきたい。上京しても忘れなかった原体験がある~


政治と無縁の状況からツテを頼って議員秘書に


金丸:菅さんは、かなり読みが深いタイプでいらっしゃいます。だけどさすがに、若かりし頃は普通の青年だったんですね。

菅:そうですよ。その後、やはり大学に行きたいと考え、法政大学に入学しました。学費を稼ぐためにアルバイトもいろいろやりましたね。実家に帰ったときは、いわゆる土方仕事もやったし、東京では築地市場や有楽町のカレーライス店で働いて。バイト先では、結構かわいがってもらいました。

金丸:先輩からかわいがられるタイプなんですね。

菅:なぜだか、年配の方に気に入られるんです。

金丸:大学を出てもう一度就職された後、今度は政治の道に進まれます。それはどのようなきっかけがあったのでしょう?

菅:仕事をしているうちに、世の中を動かしているのは政治だな、とおぼろげに見えてきたんです。それに、どうせ一度きりの人生なんだから、思うようにやってみたいという気持ちもあって、「先輩の国会議員を紹介してくれないか」と法政大学の就職課の窓口に。卒業して2年くらい経っていましたけどね。

金丸:なかなか図々しいですね(笑)。でも、きちんと対応してくれた。

菅:親切なことに、OB会の事務局長を紹介してもらい、その方から巡り巡って、故・小此木彦三郎さんの秘書として採用されました。それが26歳のときです。そこから、私はアクセルを踏みっぱなしで生きてきました。

金丸:上り坂でも下り坂でも、ブレーキを踏まない政治人生の始まりですね。

菅:小此木さんにも大変かわいがってもらいましたね。秘書が6人くらいいた中で、私の序列は一番最後でしたが、「朝食を必ず食べにこい」と言われ、すぐそばに住まわせてもらって。小此木さんが当時の通産大臣をされていたときは、3〜4ヶ月、秘書官もやらせていただき、ヨーロッパやアメリカ、南米などに帯同しました。自分なりに一生懸命働くうちに、徐々に自信がついていったのを覚えています。

金丸:小此木さんの秘書は、どれくらい務めていらしたのですか?

菅:11年です。ただ、私は政治の世界の中で働きたいとは思っていたけど、自分自身が政治家になれるとは思っていませんでした。

金丸:そうなんですか。だけど、その後横浜市議会議員になられますよね。

菅:それもたまたまなんですよ。ある自民党市議が勇退し、息子に継がせようとしていたんですが、その息子さんが突然亡くなられて。

金丸:それで菅さんが。

菅:ですが、一筋縄ではいかなくて。私が出馬を決めてから、その市議も「またやる」と。

金丸:では、1つの枠にふたりという事態に。

菅:それで自民党は、私を下ろしにかかるんです。「次はやらせてやるから、今回は退いてくれ」と。ただ、自分でもなぜだか分かりませんが、私は一切退きませんでした。

金丸:退かないといっても、選挙では自民党の公認がもらえないと厳しいですよね。

菅:もちろんです。でも、あまりに私が「出馬する」と言って聞かないし、その市議も「党は何をやってるんだ」と、自民党を離党してしまい。結局、その方は市議への出馬を見送り、県議会議員になられました。

金丸:菅さんの粘り勝ちですね。

菅:とはいえ、経緯が経緯ですから、公認をもらえたのは選挙の直前だったし、その後もいろいろいじめられましたね。自民党の悪いところも全て見ました。38歳でのスタートで、それが私の政治家としての原点です。

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