「顔、すっごくかっこいいね♡」
その女は百合子といい、歳は7つ上。
「実家は横浜で有名なクリニックを経営している」ということを知ったのはこの少しあとだったが、一目見たときから、お嬢様特有の華やかで余裕のある雰囲気があった。
「ねえ、今度デートしよう。本当に顔がタイプなの!」
百合子にストレートに誘われて、悪い気はしなかった。女には困っていなかったが、お嬢様とだったらデートしてもいい。
そのとき、セレブの友人がこっそり教えてくれた。
「おい、拓。百合子さんはワガママだけど今フリーらしいし、一人娘だぜ?」
― ヒトリムスメ、か。
裕福でない自分にとって『ヒトリムスメ』はつまり『チャンス』なのだ。
◆
そして迎えた、デート当日。百合子はベンツSLのオープンカーで、アパートまで迎えに来てくれた。
身に着けていた真っ赤なワンピースはよく似合っていたが、その装いから確かにワガママそうだと感じた。
…ところが、案外思いやりのある女だったのだ。
「那須でランチ予約してあるから!あ、どっちがいい?」
そう言って百合子は、500mlペットボトルのお茶を2種類、差し出してきたのである。
ワガママで派手だけど、配慮もできる。そんな百合子を「手に入れたい」と思うようになるまで、時間はかからなかった。
「部屋に行ってもいい?」
その日のデート終わりに、ストレートに誘った。そして当時百合子が借りていた広尾のマンションで、関係が始まったのだ。
「好きだよ、百合子」
翌朝から、朝のコーヒーを欠かさず入れるようにした。どんなに忙しくてイライラしていようが 「君は大切な人だよ」の意味を込め、丁寧にドリップした。
その「大切な人」がバックグラウンド目当てなことに、賢い百合子は気づいていたはずだ。
そんな彼女との交際は順調に進み、1年と10ヶ月目には子どもを授かった。計画通り、俺は百合子の名字になったのだ。
「あら、若くてかっこいい人で。…百合ちゃん良かったわね」
「いずれうちの病院を継いでくれるよな?」
彼女の両親には怒られるかなと一瞬構えたが、義母の言葉には拍子抜けし、義父からの言葉は思惑通りだった。
百合子「年下でイケメンな医者の卵だから、悪くないなと思ってたけど…」
― かっこいいなあ、拓の横顔。
毎朝必ずコーヒーを入れてくれる拓の横顔を見るたびに思うのは、シンプルに“彼の顔”に対する感想だ。
「いい?百合ちゃん。かっこいい男性と結婚しなさいね。イケメンだったら何があっても許せるから」
口癖のようにそう言っていた母の気持ちが、今ならよくわかる。父の外見がもっとよかったら、度重なる浮気を許せたと遠回しに伝えたかったのだろう。
母は私が高校へ入学する前に、実家が投資用に所有していた恵比寿のマンションで別居し始めた。
『祖父の代から続く開業医で、母は元・モデルという恵まれた家庭の幸せな子』
中高を横浜にある女子校で過ごした私は、同級生からそう言ってはよく羨ましがられていた。しかしその実情はひどく、父は浮気し放題、おそらく母は別に恋人がいたようだ。
だから経済的には一切の不自由はなかったが、いつだって虚しい青春時代を過ごしてきた。
…そんな暗い気持ちで生きてきた私は、ある日彼と出会ってしまったのだ。
この記事へのコメント
ただ結婚したと同時に冷たくなるって、あからさま過ぎ。