もうコーヒーを飲む気にはなれず、そのまま商店街を歩きながらふと空を見上げた。
雲ひとつない快晴のはずなのに、見上げた空はいつもより狭く感じる。 一方通行の商店街は、高級外車とタクシー以外走っていない。
「私って、この街にふさわしいのかな …」
地元民が昔から愛する『スーパーナニワヤ』や『あべちゃん』など下町風情がありながらも、芸能人がすぐ隣で飲んでいる麻布十番。
『たきや』や『鮓ふじなが』など予約の取れない名店がある一方で、カジュアル使いができる店もたくさんある。
東京の憧れと親しみを凝縮したような街が好きだったけれど、 無理をして、麻布十番ブランドに固執している自分が急に虚しくなり、そして気がついた。
— 私は、ブランドで固めていたんだ。
外見のことだけではない。家も、人も、全部。
家賃を払ってもらっているときは、30平米で20万の部屋に対して何の思い入れもなく、もっと広い部屋に住みたいとすら思っていた。
だが実際に自分で家賃を支払い始めて、気がついた。
30平米で20万は、とんでもなく高い。自分で支払う家賃は1万円…いや、千円単位で辛さが違ってくる。
どんなに頑張って働いても、ほぼ家賃に消えていく。その分のお金で、買える物はいっぱいある。できる経験も、たくさんある。
「結局、私は何を手に入れたんだろう?」
この2年間の、麻布十番生活を振り返ってみる。
だが驚くほど、何も残っていないことに気がついた。
誰かが奢ってくれた高級なお酒。ゆかりのような上辺だけの女トモダチとの会話。
自粛前はほぼ毎晩飲みに行っていたはずなのに、思い出そうとしても思い出せない。シャンパンの泡のように、すべて綺麗に消えて無くなっていた。
ふと携帯を見ると、ゆかりから早速LINEが入っていた。
ー ゆかり:来週火曜、15時から空いてない?最近仲良しのおじさまとお茶するんだけど♡
ー 彩未:ごめん、その時間は仕事だから厳しいかも。
ー ゆかり:え〜。その人からタク代もらうから、仕事サボっちゃえば?そっちのほうが稼げるでしょw
「ははっ……。笑っちゃう」
突然道の真ん中で笑い始めた私を、通りすがりの人が不審な目で見ていた。
いまの状況をゆかりや悠馬のせいにするのは、間違っている。
表面的な繋がりを求めていたのは、私の方だ。
そこに友情や愛なんてなくて良かった。良い暮らしをさせてくれる、都合のいい人たちならば誰でもよかったのだ。
「あ〜バカバカしい」
大声で叫ぶと、急にスッキリした。代わりに『豆源』から 、焦がし醤油のいい香りがしてきた。
人情味が溢れながらも、ヒールを履くとすぐ石畳につまずく麻布十番という街。今の私には不釣り合いすぎる。
「よし。手放そう。一旦ぜんぶ、手放してみよう」
ゆかりとのLINEをそっと消す。
まだ、27歳。幸い仕事もある。
家にあるブランド物を売れば、多少生活費の足しにもなるし、引越し費用にもなる。それに、ゼロになったってまた立ち上がればいい。
なぜなら、自分がブランドになればいいから。物やアドレスの力を借りずに、自分がもっと上を目指せばいい。
「いつかまた、戻ってこよう」
外面ばかり気にして、ブランド物に身を固めて自分を守っていた、弱い自分からの卒業。
自分らしく、ありのままで過ごせる街を探して、私は引っ越す決意をしたのだ。
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勝どきタワマン妻の憂鬱
この記事へのコメント
気付けたなら良かったけど、そう簡単に浪費の癖直せるのかな...