予想外の登場人物
「…ってなわけで、仕事増やされちゃったの。もう、最悪」
その夜、菜々子は信也のマンションを訪れていた。
手狭なワンルームには、先ほど食べたカレーの匂いがまだ充満している。後片付けを終えた2人は、ベッドにゴロンと横たわった。
そして彼に腕枕をされながら、ぽつりぽつりと愚痴をこぼす。
企画部の業務は、幹部からの呼び出しや社内調整の嵐でかなり忙しい。それは業務職の菜々子も同じで、毎日ヒイヒイ言っている。
そこに、全社を挙げた大型プロジェクトが加わるなんて。余計な仕事を増やさないでほしいと、会社を恨めしく思う。
「それだけ信頼されてるってことだろ。仕事ができる人のところに仕事は集まるもの。頑張れよ」
そう言って信也は、髪を優しく撫でてくれる。その言葉のおかげで、みるみるうちにやる気が湧いてきた。
「…なんか、頑張れる気がしてきたよ」
菜々子は思わず彼に抱き着いて、頬にキスをするのだった。
迎えたキックオフミーティング当日。会議資料の送付やテレビ会議システムのセッティングで、菜々子は朝から慌ただしくしていた。
準備もほとんど終わったので、ひと息つこうとデスクに戻ったその時。部長が書類を抱えてバタバタとやって来たのだ。
「岸田さーん、ちょうど良いところに。ナイスタイミングゥ」
―こっちはバッドタイミングですけど。
何かを頼まれる気がしてならない。内心嫌で仕方ないが、業務用スマイルで「何でしょう?」と、応じる。
「今ね、今日の会議に参加される、外部コンサルの麻生さんが到着したって。悪いけど、応接室に通しておいてくれる?私もすぐに行くから。それじゃ、よろしくー」
休憩したいと思っていたが、来客を待たせるわけにはいかない。ジャケットを羽織って、1階の受付へと渋々向かう。
エレベーターの中で、菜々子はある人物を思い出していた。
―麻生って名字、懐かしいなあ。
そういえば、あの頃は“麻生先生”と呼んでいた。高校生の時に勉強を習っていた、家庭教師の麻生健太郎。当時彼は22歳、東大経済学部の3年生だった。
女子校育ちで恋愛経験もなかった菜々子にとって、彼は初恋の人のようなもの。だから急遽、家庭教師を辞めることになったと聞かされた時は、本当にショックだった。
―彼は今、何してるんだろう。
そんなことを考えていると、エレベーターがゆっくりと減速し始め、1階に到着したことを知らせた。
受付の女性に声をかけて“麻生さん”を呼んでもらう。
「麻生様~」
その声に、1人の男性が立ち上がった。…そして近づいてくる男の姿に、菜々子は固まった。
目の前に現れたのは、あの麻生健太郎、本人だったのだ。一瞬にして、彼との記憶が鮮明によみがえってくる。
毎週火曜日の18時。自宅の学習机に2人並んで、触れてしまいそうなほど近い距離で勉強を教えてもらっていた、あの頃のこと。
「菜々子ちゃん、正解!すごいよ」
そうやって彼に褒めてもらえるのが嬉しくて、頑張っていたのだ。
―いつか、先生みたいな人と付き合いたいなあ。
17歳だった菜々子は、よくそんなことを考えていた。
でも、何よりいちばん忘れられない思い出は…。
家庭教師を辞めた彼と、たった一度だけ遊びに行った、あの日のことだ。
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▶Next:2月24日 水曜掲載予定
予想外の再会に動揺する菜々子。だが麻生は、全く動じず…?
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この記事へのコメント
淡い初恋も運命の再会も全て麻生太郎で脳内再生されてしまってるではないか汗
結婚の”ご挨拶”に来たんだ。
変なの。
報道ガールみたいな爽やかな話読みたいなー