幸せの絶頂
今年30歳になる菜々子は、大手不動産会社で業務職として働いている。いわゆる一般職だ。今は企画部で、アシスタント業務を中心としている。
そんな菜々子は田園調布雙葉小学校からずっと女子校で、慶應義塾大学へ進学。そして今も祐天寺の実家で暮らしている。
重機メーカーの常務執行役員を務める物静かな父と、少々過保護気味の母のもとで、大事に育てられた。そのせいか、ほんの少しだけ世間知らずなところがあるかもしれない。
ちなみに婚約者の野田信也は、サークルの先輩。現在はメガバンクのグローバル戦略室に勤務するエリートだ。
彼とは3年前、ゼミのOB会で再会したのをキッカケに付き合い始めた。…そんな信也と、ついに結婚する。
―はあ、なんて幸せなんだろう。
彼への不満も、将来への不安も、なんにもない。
キラキラと輝くカルティエの婚約指輪をうっとりと見つめながら、菜々子は幸せを噛み締めていた。
「岸田さん、ちょっといいかな?」
2日ぶりに出社した菜々子は、部長に呼ばれた。最近は在宅勤務が増えたせいで、部署メンバー全員が揃うことはない。部長と話すのも、ずいぶん久しぶりに感じられる。
「実は今度、大規模な業務改革プロジェクトを行うことになった。そこで岸田さんにはアシスタントとして入ってもらって、部署や外部との調整なんかをお願いしたい」
「外部の方も入るんですか?珍しいですね」
菜々子は率直な感想を口にする。これまで、どんなプロジェクトも内部のみでやることが多かった。上層部の中には外部の目が入ることを嫌う者もいると聞いているから、大胆な方針転換だ。
すると部長が、周囲を見回して声をひそめた。
「ほら、顧問が変わっただろ。あの人、かなりの改革派らしいんだ」
顧問の役割はよく分からないが、つまりは会社の権力構図が変わったということなのだろう。あとで調べておこうと、心の中にメモをする。
こういうのを把握しておかないと、社内調整は難しい。
業務職として働いていくうえで一番必要なスキル。それは、誰がキーパーソンなのかを見極める力だ。実際に、このスキルに長けているお姉さま方が、情報通として重宝されている。
「分かりました」
「キックオフミーティングは、来週の月曜日。基本的にはリモートなんだが、外部のコンサルタントが初回だけは挨拶に来ると言っていて。悪いが、会議室のセッティングなんかを頼む」
それだけ言うと部長は「あとはメールで送っておくよ」と言い残して、席へ戻って行った。
菜々子は、業務が増えるなと心の中で文句を言いつつも、それを受け入れる。…この時はまだ、キックオフミーティングでまさかの出来事が起きるなんて、想像もしていなかった。
この記事へのコメント
淡い初恋も運命の再会も全て麻生太郎で脳内再生されてしまってるではないか汗
結婚の”ご挨拶”に来たんだ。
変なの。
報道ガールみたいな爽やかな話読みたいなー