彼女と僕の思い出話
かつての健人にとって、花奈は手の届かない存在であった。
同期として大手メーカーに入社した2人。美人で気さくな花奈の周りには、人が絶えなかった。健人は、その人だかりの向こうから遠巻きに彼女を見ているだけだった。
自分の人生を振り返ってみると、“背伸び”をしたことがない。いつも、身の丈に合った、分相応の選択をしてきた。
だから、彼女への恋心に気づいたときにも、始めはそれを無視するつもりだったのだ。
自分には絶対に手が届かない、高嶺の花だと思っていたからー。
◆
「ねえ、どうしたの。ぼんやりして」
花奈の声で、回想に浸っていた健人は我に返った。ベッドの上で寝そべっている彼女が、不思議そうに尋ねる。
「なに、考え事?」
「ちょっと昔のこと」
「ふーん。昔って、どれくらい昔のこと?」
出会ったときくらいのこと…。そう答えようとして、健人はとっさに口を噤んだ。花奈がこちらを振り返り、にんまりと笑っていたからだ。
「最近、健人の考えてること、何となくわかるようになってきた。顔の感じとかで」
「へぇー。そうなんだ」
平静を装いつつ、健人はこみ上げてくる恥ずかしさを紛らわすように、花奈の足裏にあてがっているマッサージ棒を持つ手に力を入れた。
「いったーい!いたたたた!そこって、何のツボ?」
花奈は、顔をしかめて聞いてくる。
足つぼマッサージは、毎晩の日課だ。以前一度、足が疲れたという花奈に甲斐甲斐しくマッサージをしてからというもの、彼女はそれが気に入ったようで、毎晩23時になると、「よろしく〜」と言ってベッドに向かうのだ。
健人は、自分のスマホに表示されている足つぼマップと彼女の足裏とを見比べた。
「ここは大腸だね。お通じに問題あるんじゃない」
「ねえ。レディーに向かってそういうこと言うの、よくないと思うよ」
花奈は少し拗ねたように言った。
−なんだろう、全てが愛おしい。好きすぎる。
健人は、寝たままの姿勢の花奈に覆いかぶさるように抱きついた。
「ちょっと、マッサージ屋さん。さぼらないでください」
「はい、すみませんでした」
部屋の中が笑い声で包まれる。健人は、とにかく幸せだった。
かつては雲の上の存在だった彼女が、今、自分の腕の中にいる。幸福な時間に酔いしれながら、健人は考えた。
なぜ自分は、あのときあんな勇気を振り絞ることができたのだろう。
よく言えば無難、悪く言えば面白みのない人生を歩んできた健人が、それまでの経験則を無視してまで花奈を手に入れたいと思った理由。
正直、今でもわからない。だが、これだけは言える。
そんなことがどうでも良くなるくらい、彼女のことが好きだったということ。
綺麗なものは遠くにあるから綺麗に見える、という言葉を聞いたことがある。
それはある意味で正しいのだろう。しかし、今自分の目の前にいる花奈は、近くにいても綺麗だ。
彼女の美しい顔を眺めながら、健人は、あの時勇気を出した自分に“よくやったぞ、俺”と言ってやりたい気分だった。
この記事へのコメント
でも何か、ステキな小説になりそう。来週以降も楽しみ楽しみ😊
に近いものだね。😚😁