「ご婚約、おめでとうございます!!」
フロアにいたお客さん達全員の、視線が注がれる。
男性の手には大きな(何本あるのか数え切れぬほどの)薔薇が詰まった花束。そして女性の方は、感極まって思わず涙。
もちろんその左手の薬指には、ダイヤモンドの指輪が光り輝いている。
「ありがとうございます。幸せすぎて、どうしよう」
店内が拍手と幸せに包まれている。だがそんな中、私は必死でデザートプレートと向き合っていた。
—ない。どこにも無い…!
プロポーズされているのは、隣の席のカップルである。
そんな彼らを横目に、デザートプレートの中にでも婚約指輪が隠されているのかと必死に探してみるものの、どこにも見当たらない。
「あのさ、恭へ…」
「ごめん佳奈。別れてほしいんだ…」
フォークが、思わず手から滑り落ちた。
「佳奈のことは心から大切に思っていたし、尊敬している。でも実は、他に好きな人ができてしまって…。
今日は、ずっと僕の方が背中を追いかけてばかりだった佳奈との最後の食事だからこそ、最高のお店で終わらせたかったんだ」
相手は、10歳年下の後輩・ルミちゃんだった。
◆
翌日は土曜日のため、幸い仕事は休みだった。
どれくらい、眠っていたのだろうか。枕元に置いたままで充電をし忘れていたスマホの電源を入れると、もうとっくにお昼は過ぎている。
恭平から、LINEは入っていない。
その代わり、ぼんやりした頭でInstagramを開くと、真っ先にルミちゃんの投稿が出てきた。
『今晩のために、ラザニアを焼きました♡焦げちゃったけど、彼は美味しいって言ってくれるかな?♡』
思わずスマホを投げ捨てたくなる。
満面の笑顔と共に焦げたラザニアを見せているルミちゃん。これを食べるのは、恭平なのだろう。
どうして、こうなってしまったのだろうか。
頑張って勉強して一流大学へ入り、大手広告代理店に就職。仕事も恋愛も一生懸命しているうちに、気がつけば35歳になっていた。
“普通の幸せ”が欲しいだけなのに、神様はそんなものさえ私にはくれないのだろうか…
しかしそんな悲しみの淵にいるはずなのに、生理的な欲求というのは本能に忠実だ。夕方になると、しっかりお腹が空いてきた。
「私だって、ラザニアくらい作れるし!!!」
もう、負けているのは分かっている。けれども対抗心は捨てられず、近くのスーパーに買い出しに行こうと家の近所を歩いていた時だった。
不意に、美味しそうなトマトソースの香りにフワッと包まれた。
思わず足を止めると、半地下の窓から暖かな灯りが漏れている。
—『aniko』….
天窓から店内を覗いてみると、そこにはカウンター席とテーブル席があり、まるで南イタリアを彷彿とさせるような内装が目に入った。
「でも、さすがに一人で入るのはちょっとなぁ…」
今まで外食する時は、友人や恭平がいた。ランチは一人で済ませることも多いが、ディナータイムとなると話は別だ。
「うん。やっぱり、やめておこう」
本音を言えば、こんな日は飲まないとやっていられず、一杯飲みたい気分だった。だが、さすがに行きつけでもないイタリアンレストランに一人で入る勇気はない。
諦めてそのまま歩き出そうとした瞬間に、店内から二人組のお客さんが出てきた。
「あぁ〜美味しかった!“幸せ♡”」
自分でも、どうしてそこに入ったのかは分からない。
ただただ、“幸せ”という言葉に誘われるかのように、自然と石畳の階段を降りていた。
この記事へのコメント
じゃあラザニア作った相手ってロブションで振ったやつと同一人物なの?社内だから知らないわけないし、先輩の彼氏取っておいてルミちゃんは「婚約おめでとうございます〜」とかいってたの?
スーパーサイコパス女だな...恐怖しかないわ...