梨沙は気楽な女子大生活を楽しんだあと、この会社に新卒で入社した。
大手IT企業と言われる梨沙の会社だが、企業へのシステム導入や自社商材の開発、また、ビッグデータのコンサルティングなど、幅広く事業を行っている。
会社説明会では、文系出身の梨沙はITのことはよく分からなかったが、オフィスはカフェスペースや一人きりで仕事に打ち込める集中スペースがあるなどお洒落な空間で、そこにいる社員は皆キラキラと輝いているように見えた。
あのときは漠然と、仕事を頑張ろうと素直に思っていた。
そして入社後は、人事部の教育課に配属された。
仕事は、研修の参加者を募り、講師に連絡し、会場設営し、研修が終わったらアンケート集計して報告書を出すことの繰り返し。
研修終わりに会場に行くと、講師にお礼をする社員や、楽しそうに話をする社員達はいるが、梨沙にお礼を言いにきたり、話しかけてくる社員は滅多にいない。
―この研修を準備してきたのは私なのに…。まるで、自分は誰の視界にも入っていないみたいだ。
そんなふうに感じ始めてからは、仕事はお給料をもらうための手段だと思うようになった。仕事への積極性は無くなり、ただ淡々と“最低限”をこなしていくようになった。
だからこそ、梨沙は仕事が増えるのはとても嫌だった。
終業時間になったらすぐに退社し、女子会をしたり買い物をしたり、予定がないときは家でNetflixを見ながら料理をして1人でそれをつまむ。これが梨沙の毎日だった。
◆
そして迎えた、キックオフの当日―。
憂鬱な気持ちで会議室に行くと、すでに自分以外のメンバーがそろっていた。梨沙が慌てて空いている席に座ると、すぐに会議が始まった。会議進行していたのは、加藤だった。
どうやら、このプロジェクトは加藤が企画したようで、プロジェクトマネージャーを務めていた。加藤は色白で王子様のような顔立ちをしており、すらりと長い手足に細身のスーツがよく似合っている。
このコンテストは、「新規事業を創りたい」というやる気のある社員が自ら応募し参加する形式だ。参加が決まったら2ヶ月間かけて新規事業を考え、最後は役員にプレゼンをする。その結果次第では実際に事業化するというものだった。
経営企画室と人事部は参加者が円滑に活動できるよう、週2回の研修と活動を支援する方針になっている。
―自分だったら、18時になったらすぐに会社を出て、お家に帰りたいのに……。
梨沙には、このコンテストに参加する人の気持ちがまるで理解できなかった。コンテストに参加したって、仕事の量は減らず、業務が終わってから活動をしなければならないのだ。
梨沙に任された仕事は、上司から言われていた作業の他に、活動日と決められた月曜と木曜の18時から21時まで会場にいて、参加者からの問い合わせ対応などを可能な限り行うことだった。
―はぁ…。残業も最悪だし。それに、どうしていつも自分は誰かに尽くす役回りなんだろう?
梨沙は、自分が常に脇役で、しかも誰の記憶にも残らないような脇役であることに悲しくなった。
自分の人生はこれまでずっと平凡だ。ごくごく普通のサラリーマン家庭で育ち、中高一貫の女子校で、大学も付属の女子大。友達は多い方だが、これと言って際立った個性や趣味はない。
すると、思っていたことが表情に出ていたのか、会議終了後に、加藤に声を掛けられた。
「倉田さん、お疲れ様です。…今日は初回だったから、疲れちゃったかな?参加者から新規事業が生まれるよう一緒に頑張りましょう。参加者募集は最初の大事なポイントなので、倉田さんを頼りにしているよ」
「あ…、はい」
梨沙は、まさか加藤から優しく話しかけられるとは思ってもおらず、小さな返事しかできなかった。
―まずい!さっき思っていたことが顔に出ちゃってたかな…。
この会議に参加したメンバーは、加藤のように前向きにこのプロジェクトに取り組もうとしている。
だが自分だけが正反対なことを思っているのを、よりによって加藤に見透かされたようで、梨沙は恥ずかしくなり、足早に会議室を出た。
この記事へのコメント
とにかく、梨沙が今後どうなるか楽しみです。