SPECIAL TALK Vol.39

~生きるための基本だからこそ、「食」を変えればすべてが変わる~

早い時期にチャンスをつかみ留学。インドネシアで大きな転機

金丸:大学卒業後は、日商岩井(現・双日株式会社)に就職されました。配属はどちらに?

福井:食品部のコーヒー課です。ずっと食品をやりたかったから、配属されて嬉しかったですね。でも、当時は商社間の価格競争が激しく、「コーヒー課は2年で課長の首が飛ぶ」と言われていました。だから、どうして儲からないのかを分析してみたんです。すると、どの商社もグリーンビーンという焙煎する前の段階のコーヒー豆を扱っていたんですが、そのマーケットがわずか700億円しかないことがわかりました。

金丸:そんな規模の中でしのぎを削っていれば、儲けが出ないのも当然です。

福井:その一方で、缶コーヒーなどの製品になると、市場規模が1兆円に膨らむんですよ。

金丸:そんなに違うんですか?

福井:そうなんです。その過程で何をやっているかというと、単に豆をローストしてパックしているだけ。「我々も1兆円の製品マーケットを取りに行くべきだ」というレポートを書いたら、本部長が「これ、やろう」と言ってくれて。「誰がやるんですか?」と聞くと、「言い出しっぺのおまえがやれ」と(笑)。

金丸:白羽の矢が立った。入社して何年目のことですか?

福井:3、4年目くらいです。

金丸:かなり早い時期にチャンスをつかんだんですね。

福井:それから2年間、子会社の日商岩井食料に出向しました。OEMでプライベートブランドを作り、スーパーに直接納品するようにしたことで、売り上げも利益も大幅に上がりました。それが人事部の目に留まり、「よく頑張っているから、海外の大学に留学させてあげる」と。

金丸:スゴい。エリートですね。留学先はどこにしたのですか?

福井:普通だったらMBAを取るために、アメリカやヨーロッパの大学に行くじゃないですか。でもそういうのが嫌で、インドネシア大学を選びました。

金丸:それは珍しい。

福井:留学していた2年間は、私の人生にとって大きな転換点でしたね。当時のインドネシアは軍事政権下にあり、政府にとってネガティブな情報は一切出ませんでしたが、国内では工場排水などの環境汚染が深刻でした。インドネシアより先に環境問題を経験している日本人として、何かできることはないのかと真剣に考えるようになりました。

金丸:帰国後はどうされたんですか?

福井:自分で言うのもなんですけど、日商岩井の中ではエリートの扱いを受けていたので、「好きなことやっていいよ」と言われまして。

金丸:特別待遇だ(笑)。

福井:いろんなことがやりたかったので、とりあえず商品開発グループという名刺をつくってくださいとお願いしたら、僕のために商品開発部ができました。

金丸:福井さんのために?

福井:はい、自由にやっていいということで。で、10個くらいのプロジェクトを組んだんですけど、その中で一番やりたかったのが、オーガニック食品の事業化だったんです。やはりインドネシアで環境問題や食の安全性というのを痛感していましたから。バリバリの商社マンとして、お金を稼ぐことの重要性もわかっていましたが、それ以上に自分の家族や友人、子どもたちに自信をもって食べてもらえる安全な食品を届けたいと思ったんです。子どもの頃からずっと食品のことを父に教えられていたのも大きいですね。

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