僕らの世代の東京ソング Vol.1

僕らの世代の東京ソング:アラフォーに捧ぐ'87~'96の東京ソング特集

大きな玉ねぎの下で ~爆風スランプ~

1989年10月21日発売

大きな玉ねぎ=武道館の天井にそびえる、八角形の意匠。

「九段下の駅を降りて~」という歌詞から、実は武道館の事を歌っていると知った当時思春期真っ盛りのアラフォーは、興奮しながら「お前知ってる?『大きな玉ねぎ』の意味ってさ」という会話を、リアルタイムで一度は友達と繰り広げたはずだ。

80年代中盤までの爆風スランプは「腕立て~腕立て~無理だ!ワニの腕立て」などと叫びながら消火器を振り回して暴れていた、いわゆる色物扱いのバンドだったが、その後「RUNNNER」で大ブレイク。

スキンヘッドにグラサンをかけ、直立不動でバリトンボイスを響かせるという、いまだにフォロワーすら誰もでてこない圧倒的オリジナリティ。
アラフォーにとって、赤いジャケット+黒インナーのコーデが許されるのは、サンプラザ中野か、88年レコード大賞の時の氷室京介だけなのである。

本作はRUNNNER後のヒット曲に思われがちだが、実は1985年に発売した2ndアルバムの楽曲を、RUNNNERでのブレイク後にリメイクしてシングルカットし、ヒットしたものである。

歌詞の中の男女は「ペンフレンド」。今で言う「メル友」だが、メールどころかポケベルも無い二人のコミュニケーション手段は、文通なのである。

若い世代には、猿岩石がヒッチハイクをしていた「電波少年」の「旅人よ 〜The Longest Journey」の方が馴染みがあるかもしれないが、アラフォーには何と言っても「RUNNNER」と「大きな玉ねぎの下」である。

2015年より、九段下駅の発車メロディとしても採用されている名曲である。

動画:【爆風スランプ】武道館 大きな玉ねぎの下で

東京青春朝焼物語 ~長渕 剛~

1991年12月14日発売

「今日から俺 東京の人になる せっせせっせと東京の人になる」

日本最強の上京アンセムといってもよい本作は、長渕剛通算13枚目のオリジナルアルバム「JAPAN」に収録。
淡々と上京直後の東京の情景を描写した長渕の咆哮は、上京者のみならず、東京ネイティブのアラフォーさえも夢中にさせた。
そのマンドリンの音色は涙なくしては聴けない名演である。

とにかく当時の長渕人気は絶大。アラフォー世代にとって、長渕の「LICENSE(87年)」~「昭和(89年)」~「JEEP(90年)」~「JAPAN(91年)」という奇跡のフルアルバム4連発をリアルタイムに味わったことは、一生の宝物となっている。
当時カラオケではコーラスの浜田良美パートを歌う権利の奪い合いが行われたものである。

この頃の剛はやさぐれMAXの頃。
近年のポジティブでマッチョな剛も素敵だが、アラフォーにとっての剛のイメージは、「とんぼ」の英二さん。
夜ヒットで見せつけた渾身のやさぐれパフォーマンス
に、後ろで聞いている歌手たちが、お通夜のような雰囲気でドン引きする姿に、「剛すげー」と拍手喝采をしたものである。


昭和という長い時代の終わり、バブルの熱狂と終焉、湾岸戦争…

きらびやかな80年代後期の日本POPS/ROCK業界ではメジャーアーティストに世相を歌う歌手が少なく、アラフォーは世界情勢とその欺瞞を剛から教わっているのである。

そしてその熱狂は、92年の東京ドーム講演でついにピークに達する。
「1対6万5千」と銘打たれたこのコンサートで長渕が颯爽と登場し、アコギをかついで最初にマイクに放った

「今日は… 最後まで…… ギター1本で行きますから」

このセリフの後のつんざく歓声は、ソロアーティスト至上最高の歓声の一つである。(しかし3曲目にして何人かのバックメンバーが登場するのはご愛嬌)

特筆すべきは、そのクリアなサウンド。
いつものバックメンバーから一新、LAの現地ミュージシャンで録音された、各楽器がクリアに分離しながらも一体感をもって攻めてくるサウンドは圧巻の一言。

捨て曲の一切ない完璧なアルバム「JAPAN」で、長渕剛の中期黄金期がここに完結するのである。

動画:東京青春朝焼物語 長渕剛 2001 Ver.

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