僕らの世代の東京ソング Vol.1

僕らの世代の東京ソング:アラフォーに捧ぐ'87~'96の東京ソング特集

TOKYO ~BUCK-TICK~

1989年1月18日発売

「崩れる 溶ける ひび割れる この東京」

ついにキャリア30年を超え、その間メンバーチェンジ無し、活動停止無し。毎年12月29日の武道館は、BUCK-TICK公演の日。
いまだにアルバム単位で勝負をしてくる、日本ロック界最重鎮の存在となったBUCK-TICK。

最近では、暫くBUCK-TICKを離れていた人が、実は聴いてなかった期間にとんでもない名作を量産している事に気づき、1周まわって戻ってくる「BUCK-TICK返り」なる現象も発生している。

余談だが、アラフォーにとっての群馬はBUCK-TICKとBOOWYを輩出したというだけで、聖地である(氷室京介とBUCK-TICKメンバは同じ高校である)。高崎市に訪れたアラフォーは、必ずこの事を口にするとも言われる。

それまではPOPな歌謡曲要素が多分に占められていたが、1989年に発表したこの4名目のアルバムで、一気に櫻井敦司&今井寿の嗜好が全面に押し出され、もはやコード進行もこれで合ってるのか怪しいレベルのデカダンな世界が延々と続く。
当時、ティーンのファンに対してよくこれを出したな、と思える攻めた楽曲だらけであり、「TOKYO」はそのアルバムの2曲目のナンバーである。

なお、このアルバムからシングルカットされた『JUST ONE MORE KISS(アルバム中、唯一まともな曲)』は、当時の動画:Victorのラジカセ(CDian RC-X70)のCMソングであり、キャッチコピーは「重低音がバクチクする」。

そして25年後、1990年の大ヒットアルバム『惡の華』のミックス版発売のキャンペーンのコピーは「ハイレゾがバクチクする」。
カセットテープからハイレゾまでプロモーションに起用されるバンド、恐るべし、BUCK-TICK!


さて、今ではすっかり市民権を得た「ヴィジュアル系」も、元を辿れば、このBUCK-TICK(当時はV系という言葉はない)。
このアルバムの次、オリコンチャート1位を獲得したアルバム「悪の華」で見せた、全身黒づくめの世界観が、まさに原型と言われているのだ。
ただし、本人達はあくまで詩人ボードレール(詩集「悪の華」の作者)のゴシックな雰囲気を表現していたのであり、目立ちたいだけのV系のクオリティとは一線を画している。
(さらには、全盛期の櫻井敦司をしのぐ美形は、いまだに現れていない!?)

アラフォーには「X JAPAN」はやや新しく、「LUNA SEA」は完全に次の世代。「BOOWY」は実はリアルタイムよりちょい前の、お兄ちゃんに教わる音楽。

アラフォーのヴィジュアル系は、あくまでBUCK-TICKであり、その理解は6枚目の「狂った太陽」あたりで完全に止まっているのである。
(なお、狂った太陽は日本のデジタル+ロックの記念碑的な名盤であり、こちらもチェックしたい)

そして少し時は流れ、95年に発売されたシングル「唄」で今井寿がカート・コバーンのコスプレをして登場したときに、アラフォーもピンとはこないまま、グランジの波に飲み込まれていくのである。

動画:TOKYO
動画:スピード(狂った太陽収録)

CSA ~ユニコーン~

1990年10月1日発売

「東京都渋谷区神宮前 2丁目4番12号~」

広島が生んだスター、ユニコーンが全盛期に放った4THアルバム「ケダモノの嵐」収録曲。
当時神宮前にあった自分達の所属事務所「CBS SONY ARTISTS」の住所をそのまま歌詞にし、2バスが鳴り響くスラッシュメタルナンバーとして歌い上げた楽曲である。

時はまさに第二次バンドブーム。

アラフォーはユニコーンも、プリプリも、ブルーハーツもリアルタイムに味わった世代。
握りこぶし系のエネルギッシュなメッセージ性を持ったバンドが多かった中で、今でいう「ユルい」雰囲気を持ったユニコーンは、当時のアイドル的なビジュアルも相まって、特にクラスの女子から圧倒的な人気を集めていた。

このアルバムには、「働く男」「スターな男」という、当時まさに駆けだしのダウンタウン、ウッチャンナンチャンが共演した伝説のバラエティ「夢で逢えたら」のオープニングテーマソング2曲が収録されていることからも、アラフォーにとっては忘れられないアルバム。

第32回日本レコード大賞ベストアルバム賞・アルバム大賞も受賞した、日本のロック史上に燦然と輝く名盤なのである。
(「夢で逢えたら」のオープニングには、他にもサザンオールスターズの「フリフリ'65」「女神達への情歌(報道されないY型の彼方へ) 」などが採用されている。)

その後、奥田民夫がソロアルバムを出し「愛のために」をTVで歌っていた94年は、アラフォーは既に高校生活を終え、PUFFYのプロデュースをした96年にはアラフォーは二十歳を超えて多感な時期を終了させており、やはり彼らにとって奥田民夫とは = ユニコーンなのである。

カラオケに行って、ビブラートを聞かさずに日本語をはっきりと歌うスタイルのアラフォーがいたら、彼は間違いなく奥田民夫を通過していると考えてよい。

動画:人生は上々だ~CSA~すてきな夜空

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