12時55分。
父親が、お店に退店予定時刻を伝えておいてくれたおかげで、コースを満喫して、時間通りにオフィスに戻ることができた。
軽くメイクを直そうと化粧室に向かう。
すると、化粧室の中から後輩、沙理と美央の話し声が聞こえてきた。
「ねぇ聞いた?オフィス環境整備プロジェクトのメンバー、公募になるんだって」
「えっ。公募ですか」
「その経緯っていうのがさ、ナシ子先輩の『おことわり』よ~。前も、新卒採用プロジェクトのメンバー入り断ってたけど、またご辞退されたみたいよ」
「あのプロジェクト、大注目じゃないですか。私も入りたいのに。なんでこんなチャンス棒に振っちゃうんですかね?」
「そりゃあ、簡単なことだけ続けていれば、ミスしないし責任も取らなくて良いからでしょ。なんだかね。
いい人だし顔もカワイイから、何年か前まではお食事会にもよく誘ってたけど、最近は誘いにくくなってきたわ」
後輩たちに声をかけようと思っていた梨子は、化粧室の入り口で立ちすくむ。話は、まだ続いているようだ。
「一体いくつなんですかね?沙理さんが入社した時には、もう働いていたんですよね?」
「ナシ子先輩?今年31歳だったはず。彼氏とかいるのかな」
「さあ…」
「彼氏がいるのか、そもそもほしいのかも情報ナシ。持ち物からすると金遣いも荒いわね。きっとお金もナシ。
仕事は丁寧にするけど、その先何をしたいのかビジョンもナシ。それがナシ子先輩よ」
― りこ…梨子と書いてナシ子…?
目の前が真っ暗になり、後ずさりする。2人が化粧室から出てくる気配を感じたので、慌てて近くの給湯室に駆け込んだ。
13時きっかりに自席に戻ると、沙理が大きな声で話しかけてきた。
「梨子さん、奥田先生とのランチ、どこ行ったんですか?丸ビルのほう行きましたよね?フレンチ?コース食べるとこんな時間になっちゃいますよね~」
時間内に戻ったのに、遅刻をとがめるような言い方だ。
最悪な午後のスタートを切った梨子は、仕事に戻る前に、親友の紀香に手早くLINEを送った。
『梨子:今晩、丸の内に来られる?話聞いて~(涙)』
◆
17時半の『VIRON』。店内は、思い思いの夕方を過ごす人々でにぎわっている。
先にテーブルについていた梨子は、入り口付近で人混みに紛れている親友・馬場紀香を見つけると、大きな声で呼びかけた。
「バーバラ!バーバラ!こっち!」
紀香は、小走りで梨子のいるテーブルに来て、イスに座りながら早口で言う。
「その呼び方、恥ずかしいからやめて!それに今は、馬場じゃなくて小松です」
「いいなあ、新婚。私も結婚したい。そうだ、バーバラ…紀香の家にも同窓会の招待状来た?一緒に行こうよ」
「ああ、同窓会ね。どうしようかな。正直、学生時代にいい思い出があまりないんだよね。
私、帰国子女で中学の途中から編入したじゃない?完全に浮いちゃってた私に声かけてくれたのなんて、りったん…梨子ぐらいだったから」
紀香は、学生時代のあだ名で梨子を呼んだことをごまかしながら、本題を切り出した。
「で、今日はどうしちゃったの。話聞いてってなに?」
「あのね、今日ね、後輩にね…」
ポテトをつまみながら、今日の出来事をぽつぽつと語る。
「ふーん。なるほど。ナシ子呼ばわりに傷ついちゃったってわけね」
梨子は、2杯目のシャンパングラスを傾けながら、紀香に詰め寄った。
「ひどいよね!プロジェクト断ったぐらいで『ナシ子』なんて…」
「でも梨子、率直に言うね。本当はずっと思ってた。梨子はいつまでこのままなんだろうって。たぶん、このままだと梨子はずっとナシ子のまま…ごめんね。私酔っちゃったかな」
「ひどい!私、ナシ子なんかじゃない!彼氏候補だっているわ。昨日もデートしたんだから。午前中に送ったLINEは、既読スルーされてるけど…。
でもきっと、そのうち結婚して、子どもを2人産んで…」
梨子の声は徐々にトーンダウンしていく。
「はぁ…。私、ナシ子なんて嫌。“アリ”になりたい。『私はこれを持ってる!』って胸を張れることを、何か1つでも見つけたい」
「応援するよ。だからまずは上司に謝って、プロジェクトの件を…」
「ううん、同窓会に行こう。ほら、よくあるじゃない。同窓会で再会して、カップルになったって話」
「えええ…そっち?」
紀香のつぶやきは、梨子の耳には、聞こえていなかった。
「よし!同窓会のためにデパコス買って帰るわ」
酔った梨子は、楽しそうにふらふらと立ち上がった。
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「久しぶりの再会」を期待する梨子。同窓会での収穫は…?
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この記事へのコメント
仕事への情熱とか責任感とか全然ない所は上記の二人よりダメ子かも。