結局、食前酒だけで解散となった最後のデートの帰り道を、薫子は放心状態のままふらふらと歩いた。
― お前、重いんだよ…。
秀明の吐き捨てた言葉が、じわじわと心を締め付ける。こらえていた涙が込み上げ、目頭が熱くなる。
残念なことに、この心の痛みは、薫子にとってすでになじみ深いものだった。
「愛が重い」。
いままで付き合った2人の元恋人たち。そして、たったいま元恋人となった秀明も合わせて3人から、薫子は例外なくこの言葉で別れを告げられてきた。
休みの日には必ず会いたがること。
毎日寝る前に電話をしたがること。
小さな記念日を大切にしすぎること。
手料理や家事で尽くしたがること。
いつでも「好き」と伝え合いたがること…。
放り出された代官山のレストランから自宅までの道のりを歩きながら、秀明がウンザリとした顔で並べ立てたひとつひとつの言葉を振り返る。
― 私、またやっちゃった…。
自己嫌悪でいっぱいになりながらも、もくもくと歩みを進めた薫子は、気づけば目黒青葉台の自宅前にたどり着いていた。
重厚なオーク材の玄関扉の前で手鏡を取り出し、涙の跡が残っていないことを確認する。
そして、悲しみで下がりきっていた口角を意識的にきゅっと持ち上げ、「ただいま!」と明るい声でドアを開けた。
「あら?薫子、ずいぶん早かったのね。彼とディナーじゃなかったの?」
明るい声で薫子を迎え入れたのは、母だ。食卓に温かな手料理を並べながら、こちらに向かって微笑みかける。
その食卓には、ワインボトルに手をかけた父が座っていた。
「どうした、ケンカでもしたか?」
いたずらっぽい顔で薫子をからかいつつ、片手で母を席へと手招きする。そして、「いつも美味しい料理をありがとう」と言って、父は母のグラスにワインを注いだ。
薫子の父は、千葉にある大きな病院の院長だ。今は、12歳上の薫子の兄が医師となったため、ずいぶん落ち着いて過ごせるようになってきたものの、現役時代はかなり多忙な生活だった。
専業主婦である母は、父の身の回りを常に整え、支えてきた。
「百合江、このトリッパ最高だよ」
「そう?ありがとう」
70近い父は、母のことをいまだに名前で呼ぶ。目の前でグラスを交わす両親は、お互い一目惚れで電撃結婚だったというのも深く納得できるほど、今でも恋人同士のように仲がいい。
常に会話を楽しみ、行動を共にする。
どれだけ小さな記念日も大切にし、手料理や家事で真心を尽くし、惜しみなく愛情を伝え合う。
過去の恋人たちから「重い」と言われた薫子の恋愛観は、間違いなく、この心の底から互いに愛し合う両親の下で育まれたものなのだ。
― どうして?私、お父さんとお母さんみたいに、大好きな人と一緒に生きていきたいだけなのに。どうして、私はいつも「重い」って言われちゃうんだろう?
仲睦まじい両親の姿が、つい先ほど失ったばかりの恋の痛みをさらに助長させる。
ふたたび涙が込み上げてきた薫子は、慌てて目頭をぬぐった。
「薫子、夕飯はすませたのか?」
「作りすぎちゃったから、薫子の分もあるわよ」
普段と様子の違う娘を心配してか、父も母も心配そうに声をかける。
「大丈夫!ダイエットしてるから遠慮するね」
薫子は精いっぱいの強がりで笑顔を保つと、足早に自室へ駆け込んだ。
そして、ほとんど衝動的に、秀明へのLINEを打ち始めた。
この記事へのコメント
でもさすがに26歳で社会人経験ないのは微妙かも。
時間が有り余ってるから追いかけすぎちゃうのかも。
薫子ちゃんみたいな子がいいって男の人もいると思うけど、ドンピシャで出会うの難しいかな?
紹介かお見合いか。。。