夫からの強烈なアプローチに、陥落した女
めぐみと弘樹は、結婚3年目。同い年の二人は、現在30歳だ。
妻・めぐみは、弘樹と同じ、丸の内にあるメガバンクで一般職として働いていた。結婚を機に退職し、現在は週3回、日本橋の法律事務所でアルバイトをしている。
夫・弘樹は、慶應サッカー部出身で、体育会のノリと地頭の良さを兼ね備えた、爽やかなイケメンだ。
人付き合いの良い彼は、平日の夜はほとんど飲み会で、週末もゴルフで不在にしていることが多い。
会社指定の門前仲町にあるマンションに住んでいるが、郊外の社宅が貸与されることが多いメガバンクでは珍しいケースで、本当にラッキーだ。
二人の出会いは、職場だった。六本木支社で法人営業をしていた弘樹と、支店で窓口を担当していためぐみ。
支社、支店と言っても、職場は同じ。法人担当か個人取引の担当で呼び方が違うだけだ。
めぐみは社内でも有名な美人だったが、顧客の中にもファンが大勢おり、彼女が窓口担当の日は、異様に男性客が多かったらしい。
そんなめぐみに一目惚れした弘樹のアプローチは、今でも伝説になっているほど強烈なものだった。帰国子女というバックグラウンドも関係しているのか、ストレートな愛情表現は、他の男性を圧倒していた。
弘樹は、まずはバラを1本、めぐみに贈った。メッセージは、「一目惚れ」。
バラは、プレゼントする本数でメッセージが違うと言われている。
3本は「愛しています」、12本は「愛は日増しに強くなる」、108本は「求婚」。…そして、144本の「何度生まれ変わっても君を愛する」に達するまで、彼は会うたびにバラを贈り続けたのだ。
当時、めぐみの友人のあいだで、弘樹は“バラ男”と呼ばれていた。そうして、バラ男・弘樹の情熱的すぎるアプローチにより、めぐみはついに陥落したのだ。
「久しぶり〜!」
めぐみが5分ほど遅れてお店に到着すると、すでに千春と樹里が話に花を咲かせていた。
「ねえねえ、千春の旦那さん、パリに転勤するんだってー!」
興奮気味に話す樹里に対して、千春も笑顔で返す。
「樹里だって、あと少しで出産でしょ?女の子、楽しみだね」
二人ともキャッキャと楽しそうにお互いの報告をし合っている。
−私、報告することなんかないんだけど…。
めぐみは、二人のハッピーオーラ全開の会話に、同じ温度感で入っていけない。どちらかと言えば、今日は、溜まりに溜まった夫への不満、愚痴を言いに来たくらいだ。
千春も樹里も、昨年結婚したばかり。まだ新婚気分で楽しめているのだろうか。
「私は全然。なーんにも変わらずよ」
よく冷えたスパークリングワインを口にしながら、つまらなそうに首を振ると、二人は「あんなにめぐみにゾッコンだった、バラ男・弘樹さんも、結婚3年目にもなると落ち着くのね」とケラケラ笑った。
「そういえばさ、弘樹さんも転勤とかないの?確か今は、国際部門だったよね?」
財務官僚を夫に持つ千春が聞いて来た。聞けば、彼女の夫はパリに本部がある国際機関に出向するという。
「それが…全然ないの。ほんと、嫌になっちゃう」
そう。めぐみが弘樹と結婚を決めた理由。それは、駐在員妻への強い憧れがあったからだ。
メガバンクの先輩から聞く、東南アジアでの駐妻生活は天国そのものだった。
プール付きのレジデンスは当たり前。一時的な住まいはリッツ・カールトン。国によっては運転手付きで、妻の語学学校の費用まで会社持ち。
たまに華やかなパーティーに参加して、あとは優雅なティータイム。
中学校までアメリカで過ごした帰国子女の弘樹は、英語も堪能で、いわゆる“国際枠”。そんな彼がいずれ国際部門に配属されることは、結婚前から明らかだった。
弘樹が働くメガバンクは、シンガポールにある国際部門のヘッドクォーターを中心に、東南アジアに拠点が多い。弘樹が転勤になるのは時間の問題だと思われていた。しかし、この3年間、転勤の話は一切聞こえてこない。
「今日も出張から帰って来たみたいだけど、どこに行ってたのかも知らない。もう興味もないし。はあ、愚痴しか出てこない…」
そう言って、2杯目のスパークリングワインをゴクリと飲み干す。
すると、千春と樹里は驚いた顔で、声をひそめながら聞いて来た。
「そんな国内出張あるの?国際部門なのに?こんなこと聞くのも悪いんだけど…夫婦関係、大丈夫なの?」
この記事へのコメント
愛想つかされると、まず浮気疑うよね。
なんで、自分の態度が相手に影響を与えるって思えないのか、本当に不思議。
しかも自分から文句を言ったりすることはなく、とにかく態度だけが変わっていって、そこから持ち直すまでにけっこう苦戦しました。
主人公は取り返しつかなくなる前に気づくといいですが。