孤独な半生
私は、法律事務所を経営する弁護士の父と専業主婦の母のもと、白金台の一軒家で生まれ育った。
母は私が産まれたとき、「雪のように肌が白いから、美雪」と名付けてくれたそうだ。しかし、その大好きだった母は、私が2歳の時に亡くなった。
そうして私は父によって育てられたけれど、その父さえも、5年前に亡くなってしまった。
小さい頃から、街で誰かのお母さんを見かけると、いつも目でその姿を追いかけていた。だから、いつか結婚して"お母さん"になることが、ずっと私の夢だったのだ。
9か月前に高貴と出会ったとき、すぐにこれは運命だと感じた。そしてついに、その大好きな高貴と結婚できる。
ーこれでようやく、"天涯孤独"な人生から抜け出せるんだ…。
窓の外に広がる星河のような光の煌めきに酔いしれながら、ワイングラスに口をつける。私はこの幸せな瞬間を胸に刻み込もうと、大きく深呼吸をした。
プロポーズの翌朝は、いつもどおり会社に向かっていた。
私の勤務先は、港区にある大手不動産会社だ。新卒で総合職として入社してから数年は営業を担当していたが、営業成績が評価され、今は念願の開発事業部に所属している。
「おはようございます」
オフィスに着くなり、目の前の席に座る派遣社員の倉田結菜(くらた・ゆいな)が声をかけてきた。
「美雪さん、今日はいつもと感じが違いますね。なんだかキラキラしてる。いつもキレイだけど、今日は一段と輝いてますよ…!」
「えっ…。そうかな…?」
私は思わず、頰に両手を当てた。
この時期はただでさえ繁忙期である上に、月曜の朝は特にバタバタしている。それなのに今日は、つい顔がほころんでしまうのだ。
結菜は、そんな私の顔をじっと見つめていたが、急にハッとしたように尋ねた。
「そういえば…!昨日、美雪さん誕生日でしたよね?…もしかしてプロポーズとかされちゃいました?」
結菜の鋭い指摘にぎくっとして、私はつい視線を泳がせてしまう。
結菜は28歳。148センチと小柄で、おっとりした小動物のような可愛らしい女性だ。口元に指で押したくなるようなえくぼがあって、いつもにこにこと花が咲くような笑みを浮かべている。
だが頭の回転が速く、洞察力に優れており、時にはドキリとするような毒舌を吐く時がある。ところが彼女が言うと角が立たず、かえって笑いにつつまれるから不思議だ。
すると、隣の席の紺野藍(こんの・あい)が目を輝かせて便乗してきた。
「あの医師の彼ですか?プロポーズなんてうらやましい!」
藍は31歳の既婚者で、3か月前に入社したばかりの派遣社員だ。よく見ると整った楚々とした顔立ちだが、長い漆黒の髪をいつも無造作に束ねており、紺色の服を好んで着ている。
口数が少なく、何を考えているのかわからない時があるので、社内ではミステリアスな人物という位置づけだ。だが兄と父が医師をしているらしく、私が高貴の話をするといつも身を乗り出して聞いてくる。
「いやいや…今夜、同級生と久しぶりに会うから、いつもよりメイクに気合が入っているだけだよ、きっと」
慌ててはぐらかし、緩んだ頬を引き上げた。
ー早くみんなに結婚の報告をしたいけど、まだ早いよね、段取りをふまないと…。
そんなことを考えて、自分を戒めながらパソコンに向かうのだった。
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