東京女、27歳 Vol.1

東京女、27歳:社会人5年目で迫られた、究極の選択。彼氏の転勤で「全て揃った東京」を離れられるか?

大好きなものは、みんなここにある


ー半年後ー

冷え込んだホームが、人混みで徐々に暖まっていくような、3月最後の日の朝。

「気を付けてね」

私、待ってるよ、という言葉を飲み込んだ。待っているのは戻って来る誠か、自分の心変わりか、わからなかったから。

私が東京に戻ってから半年後の春。やはり誠は大阪支店に呼ばれた。

「貴美子こそ、頑張り過ぎるなよ。それと…」

誠が紙を渡す。

畳まれたメモ用紙をそっと開くと、大阪の繁華街近く、大阪支店のすぐ近くらしいマンションの住所が書いてあった。

戸惑いながら顔をあげたとき、誠の並んだ列は動きだし、新幹線の中へ吸収されていった。

もう言葉を交わせない。

小さく手を振った誠を乗せ、新幹線は東京駅から滑り出して行った。


私は結局、この地に残ることを選んだ。

あの時の、日香里の言葉。

「東京にいる限り、これ以上の暮らしって、ないんだよね。便利で、刺激的で、友達も恋人もみんな、ここにいて。今、この瞬間、はね。

ただ家族や幼馴染、自分のルーツは、ここにはない。名古屋の両親に帰って来いってせっつかれると、切なくなるの。二重国籍の子みたいに、いつかはどちらかの土地を選ばなきゃ、ってね。

貴美子みたいに、恋人も、仕事も、実家も、友達も、全部が東京にある人は、恵まれてると思うなあ。単純にうらやましいよ」

そう、やっと大事なものが全部詰まったこの場所に、帰って来れた。

誠のことは大好きだ。でも、もし誠の…転勤族の妻になったら…?

突然言い渡される引っ越し、その土地に慣れた頃にまた引っ越し、何より仕事をしないでいる日中の時間、東京で老いてゆく両親を想い、そういうちょっとした悩みをみんなとタイムリーに共有できない日々――。

いつまでも、その土地のアウトサイダー。

誠と東京。天秤にかけてどっちが大事なんて、到底決められない。けれどまだ、ここにいたい。それが本心。

誠には、「仕事をもっと頑張りたいから」と伝えた。嘘ではないにせよ、そんなの100%本音じゃない。

ーこの地を離れて何者でもなくなる自分が、怖いだけ。
ー手放す物の数を数えて、怖くなっただけ。

こんながんじがらめになっている自分が、果たして日香里が言うように「幸せ」なのか、100%の自信はなかった。

丸の内のビル街が日々姿を変えているように、私の心も変わるかも、しれない。

ただ、この瞬間の私には、「全てが揃った東京」より欲しいものはないのだ。誠がいなくても完結するかは、わからないけれど。

気が付くと、丸の内の東京駅舎前に来ていた。工事の終わったこの広場のように、見通しの良い未来があったら。

見慣れたはずの皇居の茂みのささやきが、今朝はやたらに沁み入った。

「さてと」

呟き、目尻の涙を拭う。

ボーナスで買ったセルジオ・ロッシのヒールの足元が少し寒々しく思えたのは、まだ3月だから、だけではないかどうかも、私には判らなかった。


▶NEXT:11月21日 水曜更新予定
いまや立派な東京妻・春奈の場合

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