「うーん」
自分の顔が一瞬曇ったのを自覚した。あれ、とみんなに顔を覗き込まれる。
「仙台に行ってすぐ、支店の先輩と付き合ったって話だったよね?社内でも有名な、エリートと」
「で、彼は先に東京戻ってたんでしょう?」
「えっ!じゃあ東京でやっと一緒になれたんだー!結婚する??よね??」
ちょっと待ってよ、みんな。
仙台支店で出会い、付き合いだした2歳年上の彼・誠は、付き合って半年経ったころ東京へ異動になった。
「貴美子が東京に戻ってきたら、一緒に暮らそう」
誠が東京へ行ってしまう前夜、そう約束し、2年間の遠距離恋愛を耐え抜いた。
その名にふさわしく誠実な彼が、大好きだ。
だからやっと東京本社への異動が決まった日の夜、誠にもすぐ電話した。
やっと東京で、私のホームで、一緒に過ごせる。仙台で夢見ていた、都心のマンションでの慌ただしくも楽しい新婚生活が、ついに叶う。
そのはずだった。
しかし1か月前のこと。
電話越しに聞こえる誠のテンションは、私と180度違う。
「……何??……どうしたの?」
「……この間話したビジネスプラン研修、遂に声がかかった」
「え、よかったじゃない!」
誠が言うのは、かねてから彼が参加を熱望していた1年に渡る研修のことだ。上席からこっそり声をかけられた一握りの優秀な社員のみが参加できる不定期のもので、
毎回の膨大な課題とレベルの高さに、せっかく参加できてもドロップアウトする者も多いと聞く。
この研修をクリアすることは将来の出世を約束されるようなものだと、社内では噂されていた。
「……研修、大阪支社なんだよ。東京での開催は、上席の都合でしばらくないらしいんだ。
本部長は、お前のために5年後の東京の管理職の席はあけといてやるから、やってこいって言ってくれてる」
わからなかった。会社の事情に振り回されて、東京の暮らしを放棄する誠の考えが。
私が黙ったのを異議なしと勘違いしたのか、珍しく熱くなっている誠が続けた。
「今はたまたま東京にいるけど、俺は大阪でやってみたい。求められるなら、どんな場所でも。それで……また貴美子と別々になるなんて、正直俺は考えられないよ。
貴美子、もし俺が大阪に行くことにしたら、その時のこと、考えておいてくれないか」
◆
「そっかあ、貴美子にとっては、ここがやっぱりホームなんだよね」
唐突に日香里が言う。大学から上京した彼女は、名古屋では有名な老舗の和菓子屋の娘だ。
「で、どうするの?ついて行く?もし、彼の転勤が決まったら」
「…正直、わかんない。」
今や誰より「東京の女」らしい日香里の質問に、はっきり答えられなかった。
輪郭の整った唇から放たれる完璧な標準語。エスティーローダーの29番の彩りがマッチしたその口元の動きだけくっきり見え、自分の周りだけが時が止まったようだった。
この記事へのコメント
2、3年毎に引っ越してしまうので「故郷」とか「地元」って感覚がない。生まれたところに初めて住んだのは「転校が難しいから」と祖父母に預けられた高校生でした。そういや入学式と卒業式を同じ学校で迎えたのがすごい新鮮でした。
で、大学進学でまた別の土地へ。就職はまた全然よそへ。おかげさまで「どこに行っても生きていける」自信だけはついてました...続きを見るから、生まれ育った土地を離れて暮らす同級生が「怖い」と言うようなことはなかったし、いく先々に友達がいるというのは嬉しいです。でもどうしたって疎遠になるし、小学生の頃の友達はもはや名前も顔も覚えていませんから、保育園から幼稚園から一緒の幼馴染みなんていうのはちょっと羨ましいです。