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ジェイの突然の誘いから3か月、僕は東京にいた。
最初は冗談だと本気にしていなかったが、ジェイの強引ともいえる熱心さに負けて話を聞くうちに、あながち夢物語でもないことが次第にわかってきたのだ。
ジェイの父の会社は、富裕層向けの高性能キッチンディスポーザーなどで成功を収めており、彼は前々から微生物を使った新規事業に参入すべきだと、父親に熱弁していたらしい。(ディスポーザーは微生物の力によって生ごみを分解する。)
「今後人口減ったら戸数も減るっしょ?そしたら一家に一台のものなんて売れなくなって、ウチの会社パァじゃん!オヤジは海外でもやったらいいっていうけど、オレ英語できないしさぁ。」
しれっとジェイはそう話すが、彼の考えは間違ってはいない。
ダムの説明をしている時から感じていたが、この男は頭の回転が早く、理解能力も高い。それに加えて、稀に見る“人たらし”ときた。きっといい経営者になるに違いない。
それに研究室で顕微鏡を覗き、論文のためのデータをとる毎日よりも、微生物を使った新たな挑戦ができる機会があるのなら、これこそが自分が進むべき道なのではないか。
―これは、チャンスだ…!
そう思った僕は、大学院を休学し上京することを決意した。
「タク!こっち!」
少し飲もうとジェイに呼び出された先は、パークハイアットの『ニューヨーク バー』だ。
わざわざジャケットを持って行ったものの、ファッションなど勉強したことが無いので自分の服装がTPOに合ったものか自信がないが、ジェイのカジュアルな服装を見て少し緊張がほぐれた
「お疲れ!いよいよだねー!」
この数か月で、起業に必要な準備は全て終わった。
“TJマイクローブ CTO 茂手木卓“
そう書かれた名刺を手にした瞬間、夢が一気に現実になったかのように感じたものだ。
「これから、よろしくな…!」
そういって男同士の熱い握手を交わそうとした矢先、背後から「ジェイ!」と呼ぶ高い声に邪魔された。
「やっぱ、ジェイだー!」
「おー!今日はふたり~?こっちおいでよ!」
あっけにとられるタクの意見を聞くことなどなく、女2人がカウンターからカクテルグラスとともに移動してきた。
「タク、こちら、玲奈ちゃんと美香ちゃん。オレの友達!」
「タクくんっていうんだー!よろしくねー!」
スカートの短い玲奈と、赤い口紅の美香。
2人とも美人な部類に入るのだろうが、真正面から顔をみる余裕など、僕にはない。
「も、茂手木卓です。よろしく…」
どうしたらいいのかわからず、作ったばかりの名刺を差し出す。
「えー!CTOってすごくない?あれだよね、CEO的な!」
「最高技術責任者、って書いてあるよー!やばーい!」
目をキラキラさせてにじり寄ってくる女たちに手の震えは止まらないが、不思議と気分は悪くなかった。
美しい夜景と共に窓に映るこの男は、もう『オタクのタクちゃん』じゃない。
僕は自分にそう言い聞かせて、震える手に力を込めて、一気にビールを飲み干した。
▶NEXT:8月6日 月曜更新予定
次週 タクにモテキ到来!人生初の経験が訪れる!
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この記事へのコメント
なんかほっこりするキャラクターの主人公だな♡連載楽しみです。