井上さんの部屋から出て、ハナは赤坂の街を少しぶらついた。
赤坂は昔、銀座と並ぶような繁華街だったらしい。そのなごりはかすかに残るが、銀座のような華やかさはない。しかし哀愁漂うこの街並が、ハナは嫌いではない。
井上さんと会うようになってからは、特に。
少し歩いてからタクシーを拾い、ハナは自宅に向かった。
今日、渉くんは家にいるのだろうか。
◆
「じゃあ帰るね」
ハナは、井上には絶対飲めないほど熱い温度のお茶をごくりと飲み干し、席を立った。いつものその言葉に規則正しく落胆を覚えながら、「気をつけてね」とこれまたいつも通り心をこめていい、彼女を見送った。
ハナがいなくなり、部屋がしんと静まり返る。ひとりぽつんとそびえ立つ東京タワーを見ると、寂しさを余計に助長させた。
ひとりで帰らせるのは心配なので、初めこそタクシーを乗せるところまで見送ろうとしたが、彼女は「少し歩いて帰りたいから、いい」とかたくなに断るのだ。
ハナからいつも、大抵は24時を過ぎたくらいに気まぐれに呼び出され、食事する。食事した後、ハナは井上の部屋に寄って美味しそうな顔でお茶を飲み、さっさと帰る。
その身勝手さをいつも腹立たしく思うのだが、本人は自分の気持ちに正直なだけだと、いたって悪びれる様子もないため、井上はぐうの音も出ないのだった。
―結局、惚れた弱みというものなのだろうか。
ハナに何度も何度も「付き合おう」と言うのだが、いつもはぐらかされ、こんな関係がもう半年ほど続いている。
部屋に入ればハナはすぐ手の届きそうなところにいるし、そのままがっと抱きしめてめちゃくちゃにしたいという衝動に駆られるのだが、それをするには憚られる雰囲気のある女だった。
井上は今年、42歳になる。
「付き合おう」と言った時、彼女には「一回りも年が上だから」とはぐらかされたことがある。
あれは、本音だったのだろうか。
仕事で知り合った同い年の静香には、「若い彼女に利用されてるだけよ」と度々忠告されるが、あながち間違いではないのかもしれない。
部屋から見る東京タワーは、曇天のせいかそのシルエットがいつもよりぼんやりとしており、それを見るとたちどころに不安な気持ちを覚えるのだった。
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ハナに隠された秘密とは?
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