夜更けの赤坂で、男はいつも考える。
大切なものができると、なぜこんなに怖くなるのだろう。
僕はいつも同じところで立ち止まり、苦しみ、前を向こうとして、またつまずく。
赤坂で、男はある女と出会う。彼女の名前はハナ。ひと回りも年下の女だった。
夜が更けていくたびにどんどん深くなる男の心の闇に、ハナは一寸の光となるのか…?
「あー。やっちゃった…」
水曜の25時、夜もすっかり更けたころ。
たっぷりお酒を飲んだあと、上機嫌で井上さんのマンションに向かっていた。その途中、井上さんは大切なことを思い出したように声を発する。
どうしたの、と聞くと「今日雨が降ったよな。洗濯物干しっぱなしだった」と悔しそうに言った。
井上さんは今年、41歳。29歳のハナとはちょうど一回り違う。いい歳の男がしょんぼりしている姿というのは、とても可愛いらしいと思う。
大したことないじゃない、と思いつつ、「やっちゃったねぇ」と言った。うなだれている井上さんを、ちょっといじめたくなったのだ。
マンションに着くと、ホテルのような広いエントランスを抜け、エレベーターで38階まで登る。
井上さんの部屋から見る東京タワーが、ハナは大好きだ。
暖かいオレンジ色の東京タワーは、春の曇天のせいか輪郭がいつもよりぼんやりとにじんでおり、この曖昧な境界線にとても安心するのだ。
「明日は、晴れるかな」
そうつぶやく井上さんの顔は真剣そのもので、その様子にくすりと笑ってしまった。
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