2011年、中目黒アトラスタワーでの同棲を解消し、帰る場所を失った香織がたどり着いたのは北千住のシェアハウスだった。
涼の裏切りを知ると、引き止めようとする彼を振り払い、家を出て1週間は同期の真希の部屋にお世話になった。落ち込み、荒んだ香織を真希は一生懸命慰め、寄り添ってくれた。
女友達のありがたさがこれ程まで身に染みたことはない。東京に来て、恋愛も仕事も何も成果を出せていない自分は、何のために東京にいるのか、その理由さえも分からなくなる程に落ち込んだ。
落ち着いた頃、これ以上真希に迷惑をかけられないと新居を探そうとしたが、部屋探しや面倒な契約、家具選びをするほどのパワーはまだなく、当時東京で流行りだしたシェアハウスに一時的に住むことに決めた。
いくつかのシェアハウスやゲストルームをネットで比較した中で一番新しく、駅からも近くて家賃が安い部屋を選んだ。
居室は6帖、共用のLDKは明るく開放感があり、アンティーク風の家具が設置され、キッチンや水回りには十分な設備が整っていた。
オープンして間もないため、長期間滞在している人がいないだろうことも良かった。完成したコミュニティに入る気力なんてなかったのだ。
東京東部の土地勘がまったくない香織には北千住が東京なのかもいまいちピンとこなかった。だが、ここにも日比谷線が通っていることを知り「またか」と、日比谷線との因縁を感じるようにもなっていた。
2ヶ月間だけと決めて、すぐに手続きを済ませ、見学したその日からここでの生活が始まった。
27歳も半分が過ぎて、さすがに焦りが出ていた。彼と破局して、住む家もない自分の惨めさと不安は香織の心をただただ消耗させた。だが地元に戻るという選択肢はなかった。
福岡の友人たちは絶賛、第一子出産ブームだった。SNSを開けば、まだ赤みが残った肌の生まれたての赤ちゃんの写真や、今にも張り裂けそうな程膨らんだお腹に頬を当てている夫との仲睦まじい写真が乱暴に流れ込んでくるのだ。
女性のライフステージを着実に一歩一歩上っている友人たちの姿は、香織の心を深くえぐった。
明らかに違う時流を生きている友人たちの中に、尻尾を巻いて帰った自分が途中から加わることなんてできなかった。
—なんで東京なんかに来たんだろう……。—
上京していない、自分のアナザーストーリを想ってはこの部屋で涙を流した。
だが香織はここで、この最悪な状況から立ち直らせてくれた男性と出会うことになったのだった。
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