
~既存メディアの良質なコンテンツをスマホの利用者にも、もっと知ってもらいたい~
2020年のニューリーダーたちに告ぐ
いまや既存メディアやパソコンとの接触時間を上回り、我々のもっとも身近な存在となったスマートフォン。
その将来性からか、新たなビジネスが続々と生まれては消えていく。なかでも、キュレーションアプリは熾烈な競争が繰り広げられている。
本日のゲストは、そんなキュレーションアプリ「Antenna」を運営する株式会社グライダーアソシエイツの杉本社長。 映画に魅せられた後、ペンで戦おうとした青年は、経済に魅せられ、資本家への道を歩み出し、そして、日本に新たなメディアを生み出した。
対談者は、フューチャーアーキテクト代表取締役会長の金丸恭文氏。杉本社長の哲学とは? 若者への提言とは? 次世代のリーダーを担う、東京GENTSたちヘ。時代を生き抜くヒントがココに。
金丸:ようこそお越しいただきました。本日は杉本社長の軌跡を伺いつつ、東京カレンダー読者への提言を行っていただきたいと考えております。
杉本:こちらこそ、お招きいただきありがとうございます。どんなことを聞かれるのか、少々ドキドキしております(笑)。
金丸:わかりやすく時間軸で伺っていきましょう。小学生の頃はどんなお子さんだったのでしょうか?
杉本:私が生まれたのは1967年。ちょうどニュータウン全盛の頃でした。父が自動車メーカーに勤めていた関係で、横浜市の旭区で育ちました。当時は相模鉄道がその一帯を開発していまして、同じ世代の家族がまわりにたくさんいました。
私の記憶では、本当に会社員ばかりという印象でしたね。みな分け隔てなく“中流家庭”なのですが、しっかりと日本の経済発展に乗っかっていて、そのままバブルの恩恵を受けていました。なにせ私が通っていた小学校は、全校生徒が1800人もいましたからね。
金丸:ものすごいマンモス校ですね。当時の日本の勢いを表しているようです。
杉本:いま思うと、横浜だけじゃなく、日本全国がそんな時代でしたよね。
金丸:中学は神奈川の名門校、聖光学院ですよね。やはり受験勉強はかなりされたのでしょうか?
杉本:そうですね。母に言われて、小学5年生の終わりから塾に通い始めました。子どもの頃は私も素直だったものですから、言われるがまま勉強して、受験しました。いまでこそ、クラスの大半が中学受験をする時代ですが、当時は1クラス50人いるうち、私立を受けるのは5〜6人しかいませんでした。
金丸:どちらかというと、自分の意思というよりは、親に導かれるように受験をして見事に合格されたのですね。
杉本:中高一貫の男子校だったので、ずっと男だらけの学生時代でしたね(笑)。聖光学院は私が23期生という比較的新しい学校でしたし、住んでいる街自体も新興住宅地でそこまで歴史がなく、口うるさい近所のおじさんもいませんでした。古いしがらみのない環境で育ったことが、いまの自分につながっているように感じます。