けれど、本当は母も必死でしたと伝えたからといって、ルビーが救われるとは限らない。むしろ――自分の顔が母親にPTSDを引き起してきたことを知ってしまえば、あの優しい女の子がどうなるのかは……だから光江もルビーに伝えないことを選んだのだろう。
「あの子を手放した時の…あの時の状況のありのままを告げて謝ることで私は楽になれるかもしれません。でも楽になれるのは私だけで……光江さんのお陰で今、本当に幸せそうなルビーちゃんに…新たな傷をつけてしまうかもしれない。だったら恨まれたまま…いなくなった方が良いとずっと思ってきました」
「…でも、ダメだったんですね」
「はい。最後にどうしても、もう一度だけルビーちゃんに会いたいって欲が出て、抑えきれなくなってしまって。ほんとどこまでもダメな親だな、って情けなくなるんですけど、それでも、もう一度だけ…」
1年と宣告された明美の余命。血液のがんだという。病状を詳しく掘り下げることをするつもりはないが、ともみのもどかしさはさらに募ってしまう。
「1ヶ月前くらいに、光江さんに連絡して今、宮城にいることを伝えました。最後に一目、ルビーちゃんに会いたいと。恥をしのんでお願いしました。光江さんには余命のことは伝えていませんが、先週…ルビーがアンタの居場所を知りたいと言ってきた、と電話が来たんですよね」
「お客さんたちを見ているうちに、向き合わなければいけないと思った」と言ったルビーの言葉が蘇る。きっとそれで光江に頼み、明美の連絡先を手に入れたのだろう。
「ある日仕事から帰ると、ルビーちゃんが、私の家の前に立っていました。もう、夢みたいで。すぐに家に入ってもらって話そうと思ったんですけど、それは断られてしまって。一週間くらいは近くのホテルに泊まってるから、アンタの都合のいい日に一緒に東京に来て欲しいと言われました。2人きりだとちゃんと話せる気がしないから、自分が働いている店、信頼する上司がいる店でその人に見守ってもらいながら話したいと。
会いに来てくれただけでも信じられなかったのに、きちんと話すための提案までしてくれるなんて。それが本当にうれしくて。なのに…宮城からこちらに向かう途中も、この店でも、何から話せばいいかわからなくて、少しでも明るく振舞いたいと思って、必死で…でも、やっぱり……当たり前ですけど、そう上手くはいかないものですね」
「6歳のルビーは見事解放されたので」と飛び出して行ったルビーは、諦めたと清々と笑っていた。でも本当に…自分の知らぬまに明美の存在がこの世から消えても、ルビーは本当に後悔しないだろうか。だってルビーは、大きな誤解をしたままだ。少なくとも明美は“男を選んでルビーを捨てたわけではない”はずなのだから。
確かに、明美は恋愛体質なのだろう。けれど、だれかれ構わず恋に落ちるというわけではなく、運命の恋を信じる純粋さがあったが故に、全身全霊で愛しすぎた。だから裏切られた時その反動は大きく、PTSDと闘うことになったのだろうし、母親としては厄介な性質かもしれない…でも…と、ともみはずっと気になっていたことを聞いた。
「ルビーは、明美さんが男性を…恋を選んだから捨てられたって言ってましたけど…でも、本当は違いますよね?それなのになぜ、ルビーはそう誤解したんでしょう。明美さんも…なぜさっき、反論しなかったんですか?」
「ルビーちゃんがなぜそう思っているのか、その理由はわかりません。でも、私が反論できなかったのは…」
明美の目が伏せられた。
「ルビーちゃんと離れている間に……ある男性に頼ってしまっていたことは事実だからです。私の症状が安定せずにルビーちゃんに会えないことが続いたり、仕事が決まらなかったときも、相談にのってくれて、ずっと支えて下さった方で。
今、宮城で観光のお仕事をさせてもらっているんですけど、それもその人のご紹介があったから働けているんです」
「…その人とはいつから?」
「ルビーちゃんが、中学生になった頃に出会いました」
「頼った、というのは、お互いに恋愛的な好意があってのことなんでしょうか」
恋愛…と小さく呟いた明美は、恋愛はもうずっと怖いんです、と自虐的に笑った。
「私が、光江さんみたいに…強い人だったら。病気にもならず、男性にも頼らず、1人で生きることができていたら、もっと堂々とルビーちゃんに向き合えたのかもしれません。母親というのは、子どものためならどこまでも強くなれるはずだと随分言われてきたのに、そうありたいのに…私は本当に情けなくて…」
唇を噛んだ明美の笑顔が哀しい。
― やっぱり、これが最後なのは、ダメな気がする。
ともみはルビーを想いながら、言葉を選んだ。
「明美さんが男性を頼ってでも、ただ生き続けてくれたこと、私は本当に良かったなって思いますよ」
ゆっくりと顔を上げた明美の細くて青白い首筋が、余命を聞いてしまったからなのか、余計に頼りなく弱々しく見える。
「生きていてくれないと、ルビーが今日あなたと話すことはできなかった。憎しみだって生きているからぶつけることができるんです。それだけで意味があったと私は思います。でもだからこそ…」
今日を本当に最後だと思うなら、と、ともみは共犯者の笑みを浮かべて明美を見つめる。
「最期の最後まで一緒に足掻いてみましょうよ。私にも…明美さんと出会った責任をとらせてください」
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